危機感みなぎるトルーマン特別教書

講和発効まで(93)

日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

吉田茂首相が参院予算委員会で自衛戦力をめぐる答弁をしたほぼ半日後、ワシントンから大きなニュースが来た。トルーマン米大統領が1952年3月6日午後0時15分(日本時間7日午前2時15分)、議会に相互安全保障計画に関する特別教書を送った。

アジアの熱戦を強調

1951年
12月24日
吉田首相がダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)
1952年
1月18日
韓国、李承晩ラインを設定
2月15日第1次日韓正式会談始まる
2月28日日米行政協定に署名
4月28日対日講和条約、日米安全保障条約発効、日華平和条約署名(8月5日発効)
1953年
1月20日
アイゼンハワーが米大統領に就任。ダレスが国務長官に
10月2日池田勇人自由党政調会長が訪米。池田・ロバートソン会談
12月24日奄美群島返還の日米協定署名(25日発効)

トルーマンはここでアジアに10億ドルの援助を表明した。同時に「新生日本がアジアにおける経済のためになしうる寄与については一言する必要がある」と

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