「竹島」平行線の歴史 戦後、米は「日本の管理下」

島根県・竹島をめぐる日本と韓国の領有権問題は、感情論も絡んで平行線をたどってきた。国際法にのっとった平和解決の選択肢も乏しい。

竹島をめぐる歴史的経過
17世紀江戸幕府から鬱陵島への渡航を許可された鳥取藩町人が竹島を中継地にアワビ漁に従事
1905年日本政府が島根県への竹島の編入を閣議決定
51年日本が第2次世界大戦後の国際社会復帰に向けてサンフランシスコ平和条約に署名、竹島の扱いには触れず
52年韓国が李承晩ラインを設定、竹島の領有を宣言
54年韓国が警備隊を常駐、その後に灯台を建設
日本は国際司法裁判所への付託を提案、韓国が拒否
65年日韓基本条約で竹島の領有権問題は棚上げ
99年日韓漁業協定で竹島周辺は日韓が共同管理
2011年韓国が竹島近くの鬱陵島への海軍基地建設を発表
12年韓国の李明博大統領が竹島に上陸

もちろん、日本にとって竹島は「歴史的事実に照らしても国際法上も明らかにわが国固有の領土」。島根県に編入したのは1905年だが、遅くとも江戸時代初期の17世紀半ばには竹島の領有権を確立していたとの立場だ。1779年刊行の日本地図「改正日本輿地路程全図」でも、朝鮮半島と隠岐

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