李承晩ライン報道のなぞ

講和発効まで(70)

日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

1952年1月の日本は、サンフラシスコ講和条約の発効つまり独立を控えて揺れていた。日韓間で領有権争いのある竹島問題のきっかけとなった李承晩ラインの設定は、その隙をついたものだったが、当時の日本はその重大性に必ずしも十分な認識がなかった。

不完全な毎日の"スクープ"

1951年
12月24日
吉田首相がダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)
1952年
1月18日
韓国、李承晩ラインを設定
2月15日第1次日韓正式会談始まる
2月28日日米行政協定に署名
4月28日対日講和条約、日米安全保障条約発効、日華平和条約署名(8月5日発効)
1953年
1月20日
アイゼンハワーが米大統領に就任。ダレスが国務長官に
10月2日池田勇人自由党政調会長が訪米。池田・ロバートソン会談
12月24日奄美群島返還の日米協定署名(25日発効)

韓国の李承晩大統領が領海拡大を内容とする李承晩ラインを一方的に宣言し、そのなかに竹島を含めたのは、1月18日とされる。しかしこれが日

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