末っ子から愛をこめて 森伊蔵酒造五代当主・森覚志さん

【NIKKEI The STYLE 2019年10月20日付「My Story」を再掲】

もり・かくし 1949年、鹿児島県生まれ。短大で電子工学を学び、東京の通信機器メーカーや大阪の家電販売会社で働く。喫茶店経営を経て81年に帰郷。86年に実家の酒蔵を継ぎ、後に「森伊蔵酒造」として法人化する。アニメ「名探偵コナン」の焼酎蔵元が事件の舞台となる回で「白石覚志」の名で登場した(鹿児島県垂水市で)

家を継ぐはずもない8人きょうだいの末っ子だった。焼酎嫌いで30歳近くまで下戸だった。入手困難な銘酒「森伊蔵」を生み出した森伊蔵酒造の五代当主、森覚志さんは「私の人生は逆転の人生なんです」という。やんちゃ坊主の志はいかに目覚めたのか。

「森伊蔵」は父の名前だ。

鹿児島県垂水市にある酒蔵は錦江湾に臨み、目の前に桜島がどっかと座る。決まって朝7時ごろ、父と母は縁側に座った。焼きナスを食べてお茶を飲み、蔵へと入る。子供のころの光景が忘れられない。

「鹿児島では尊敬する人に『どん』とつけるんですよ。西郷隆盛も『西郷(せご)どん』でしょ。オヤジは集落の人たちから『伊蔵(いぞ)どん、伊蔵どん』と呼ばれてね」。お金に困った人の相談に乗り、住む家がないと聞けば探し、夫婦げんかの仲裁に入り……。「自分の理想の男像、オヤジ像ですよ」

父の名を冠した焼酎 抽選販売に申し込み殺到

森さんが、その父の名を冠した焼酎を売り出したのは1988年だ。以来、トップブランドとして人気は揺るがない。毎月、電話で自動受け付けする抽選販売には申し込みが殺到。正規の価格は一升瓶で2860円だが、ネット通販では6倍の値段で取引される。ファンは海外に広がり、9月に亡くなったフランスのシラク元大統領からは直筆の感謝の手紙が届いたこともある。

蔵は驚くほど狭い。床に埋め込まれた4石(約720リットル)入りの甕壺(かめつぼ)が50個あるだけ。生産量は一升瓶換算で年15万本だ。「蔵も道具も創業の明治18年から同じ。量も増やしません」。融資の提案は何度も持ち込まれたが「私の能力はこれでいっぱい。身の丈を超えたらうまい酒は造れない」と断り続けた。

「需要があるのに投資しない。森さんは経済学を知らないね」。そう言われても気にしない。「造るのは一銘柄だけ。サイドビジネスもしない。森伊蔵の道は一本道なんです」

信念は真っすぐ。でも、森さんの人生は曲がりくねった道だった。

8人きょうだいの末っ子で、長男とは19歳も離れていた。「100人が100人、長男が継ぐと思っていました」。気楽なやんちゃ坊主だった。友達と大事な甕壺のなかでかくれんぼ。高校時代はたばこをふかし、バイクで通う。「校則違反の青いジャンパーに赤いタオルでかっこつけて。生徒指導の先生にどつかれて没収ですよ」。末っ子がよほどかわいいのか、それでも父は怒らない。

商品の配達程度は手伝ったが、家業に興味は湧かない。「働きたくないからとりあえず短大に入った。名前には『志』の字がありますが、なんの志もない。時間だけが過ぎていきました」

東京の通信機器メーカー、大阪の家電販売会社をわたり歩いた後、「いざとなったらオヤジのスネをかじろうという甘い考え」で飲食業に飛び込む。喫茶店を開いて5年が過ぎた頃、父から連絡があった。「年を取ってきたし、このまま蔵を閉めるのもな。長男は事業をしとるし……」。4人の兄は誰も跡を継がないという。また田舎暮らしもいいかな、と32歳で帰郷した。

ところが「帰ってきてびっくりしました。こんなに落ちぶれるかなと」。大手メーカーがテレビCM攻勢をかけ、酒販店は知名度のある銘柄しか扱わない。コメツキバッタのように頭を下げて営業活動をしても「販促費いくらあるの」と言われるばかり。資金繰りに奔走し、アルバイトで日銭を稼いだ。

蔵の仕事は一から父に習った。「人の口に入るものは手間と暇をかけろ」と酒造りには厳しい。でも暗いうちから働いていると、体を心配して湯飲みに半熟卵を入れて持ってきてくれる。大好きなオヤジの蔵をなくしたくない。守れるのは自分しかいない。

鼻つまんで飲んだ焼酎 「百八十度反対のことを」

28歳まで下戸だった森さんは、帰郷するまで実家の焼酎すら飲んだことがなかった。当時の銘柄は目の前の湾から名付けた「錦江」。鹿児島で愛される「芋くさい」焼酎だ。思わず鼻をつまんだ。東京や大阪で暮らし、焼酎嫌いだったからわかる。これは都会では売れない。「どうせ店に並ばないなら、いちかばちか今までのやり方を全部忘れよう。お客様から買いに来てくれる、若い女性も飲みたくなる酒にしよう」

原料、仕込み、販売……。焼酎造りの現状をすべて和紙に書き出し「百八十度反対のことをする」と決めた。

サツマイモは5割増しから倍額を払って契約農家が低農薬で育てる芋に。大きなステンレスタンクを使う蔵が増えるなか、甕壺を貫く。「タンクの5倍、10倍の手間がかかる。でも微生物が活性化する」。瓶は青か透明が主流だったが茶色にし、さらに和紙で包んだ。紫外線による劣化を防ぐためだ。

2年間、没頭した末にできたのは、芋焼酎とは思えないまろやかでうまみのある酒だった。試飲した父が「うまいの造ったな」と漏らす。

銘柄には腹案があった。父はかねて「自分と同姓同名はいない」と言っていた。堂々とした三文字で、存命の人の名を冠した酒も見たことがない。「オヤジが賛成したらやめようと思っていたんです。すべて『反対』のことをすると決めていたから」。はたして父は反対し、焼酎「森伊蔵」が生まれた。

当初は蔵での直販だけ。「モテない男が『私と結婚したいなら来てください』というのと同じ。バカげた考えですが、100の状態の酒を100のままお客様に届けたかった」。知人への半ば押し売りでしのぐうちに「変な名前の焼酎がある」「今までの酒と違う」と新聞やテレビに取りあげられる。そして東京の高島屋のバイヤーが「売らせてください」とやってきた。夢のようだった。

発売から3年ほどで人気に火が付く。電話はパンクし、ご近所一帯まで通じなくなった。発売前夜から防波堤沿いに車が並び、警察に呼び出されるほど。末っ子の逆張りはついに実った。

毎朝、妻の味噌汁とジュースを飲んで蔵へ向かう。昔の父と母の姿を思い出しながら。商売には成功しても、男としての大きさは父にかなわないと思う。「でもひとつだけ親孝行ができた。森伊蔵という名前を皆さん忘れないでしょ。それだけは褒められるかな」

【My Charge】大根の山川漬 自然の味、晩酌にはこれだけ
 鹿児島では夕食どきに焼酎で晩酌することを「だれやめ」という。だれ(疲れ)をやめる(とめる)、つまりお酒で1日の疲れを癒やすという意味だ。
 下戸だった森さんだが、もちろん今は毎晩「森伊蔵」を飲む。ただ飲むのは食事を終えたあと。「より味が分かるように食べ物で口を汚したくない。ごはんはごはん、お酒はお酒」

 例外として口に運ぶのが「山川漬(やまがわづけ)」(写真上)だ。鹿児島県指宿市の特産で、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に船に積まれたものが源流とみられている。大根を3~4週間寒干しし、塩をまぶして発酵させる。「しょうゆすら使っていない自然の味。だから焼酎の味が分かるんです」
 菌の力を借りること、その際に甕壺に入れることは焼酎と共通する。相性がいいはずだ。ひと切れ頂いてみると、ボリボリと音がするほどの手ごわい固さ。「昔の人間は歯応えがないと食べた気がしないですから」
 いい焼酎はロックで飲むイメージがあるが、森さんのおすすめは5対5のお湯割り。40度ほどのお湯を先に入れ、後から焼酎を注ぐと対流が起きてうまく混ざるそうだ。「赤ちゃんがミルクを飲むときと同じくらいの人肌。香りが立つし健康にもいいんです」。今夜も山川漬をつまんではグラスを傾け、顔をほんのり赤くする。
 朝と晩には必ず、神棚(写真下)と仏壇に手を合わせる。「森伊蔵ができたのは人間業ではない。神様とご先祖様のおかげです。『覚志は頑張っているけど賢くないから助けてやろう』と思ったんでしょう」。感謝を伝え、今日もみんなにケガがないようにと祈る。

 「宝物」だという神棚は鹿児島神宮で求めたもので、伊勢神宮の木材が使われている。毎月1日と15日、供えている榊(さかき)と焼酎を取り換える。焼酎はもちろん森伊蔵だ。「神の前に鎮座できるのはコメと塩とお酒だけ。だから一番いいお酒を造らないと」
 蔵の入り口には麻ひもで結んだニンジンをふたつぶら下げている。漢字の「人参」が人が集まることにつながるのが理由のひとつ。もうひとつは「神様は赤が好きだから。巫女(みこ)さんの袴(はかま)もそうでしょう」。酔って赤くなった森さんの顔も、きっと神様に愛されているのだろう。

石森ゆう太

鈴木健撮影

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