春秋(7月2日) 7月2日 1953年から16年間にわたり、米連邦最高裁長官を務めたアール・ウォーレンは自身を指名したアイゼンハワー大統領の「期待」をことごとく裏切った。共和党の元カリフォルニア州知事で、戦時中は日系人の強制収容を推進した人だ。ところが就任してみると――。 ▼この長官の率いる法廷は人種隔離政策への違憲判決を次々に下し、公民権運動の高まりを後押しした。刑事被告人の権利を守る画期的な判断を示した。「1票の格差」 春秋(7月2日)
春秋(7月1日) 7月1日 20世紀の幕が開いて間もない1901年2月2日。夏目漱石はロンドン中心部の人混みの中にいた。64年近くにわたって在位し、81歳で没したビクトリア女王の盛大な葬列を見物するために。よく見えるように下宿屋の主人が肩車をしてくれた、と日記につづっている。 ▼大英帝国の絶頂期の象徴がビクトリア女王だった。漱石が友人に宛てた書簡に「もう英国もいやになり候」とある。帝国主義的な葬儀に嫌悪感を抱いたのか。中国 春秋(7月1日)
春秋(6月30日) 6月30日 〽貧しさに負けた/いえ世間に負けた/この街も追われた……。子供のころ深く意味も考えず、男女の掛け合いをまねて歌った方も多かろう。絶望ソング「昭和枯れすすき」である。1974年に始まったドラマ「時間ですよ・昭和元年」の挿入歌となり大ヒットした。 ▼売れずにもう少しで廃盤になるところを演出家の久世光彦さんが発掘した。馴染(なじ)みの麻雀(マージャン)荘で有線放送から奇妙な歌が聞こえてきた。艶歌(えん 春秋(6月30日)
春秋(6月29日) 6月29日 「結婚しようよ 僕の髪はもうすぐ肩までとどくよ」。学生運動が冷めた後、等身大の日常を繊細にすくい取った吉田拓郎さん。エレキギターにサーフィンと、大衆の憧れを次々体現した加山雄三さん。時代と相照らしつつ、芸能シーンを引っ張ってきたふたりだろう。 ▼そんなベテランが近く、相次いで一線を退くという。加山さんによれば「歌えなくなってからではなく、歌えるうちにやめたい」。吉田さん76歳、加山さんは85歳だ 春秋(6月29日)
春秋(6月28日) 6月28日 夏の盛り、紀州の殿さまが大坂の豪商を訪れることになった。趣向を凝らしたもてなしに知恵を絞る。ガラス製のこたつに水を張り、庭には雪景色。さらに須磨(いまの神戸市)の風を木箱に詰めて運び、涼んでもらいましょう――。上方落語の「須磨の浦風」である。 ▼豪勢な天然のエアコンといったところか。これは奇想天外な創作なれど、聞けばひんやりする気もする。高温多湿の時期を乗り切ろうと、先人は暮らし方に工夫を凝らし 春秋(6月28日)
春秋(6月27日) 6月27日 5年前、批評誌「ゲンロン」が2号にわたりロシア現代思想の特集を組んだ。ここで紹介されたのが「ソ連崩壊後のロシアを代表する右派論客」というドゥーギン氏の「第四の政治理論」という一文だ。プーチン氏を支持するロシア人の心の内を知ろうと、ひもといた。 ▼論文は難解だが主張をまとめた一覧表に助けられた。自由主義も共産主義もナチスも誤りだった。国や大衆ではなく「宗教的貴族」が政治と経済を仕切れ。その中心はツ 春秋(6月27日)
春秋(6月26日) 6月26日 1970年の映画「家族」はほろ苦いロードムービーだった。北海道の開拓地での生活に希望をたくす一家が長崎の島を出て、高度経済成長にわく日本列島を旅する。赤ん坊と幼い息子を連れ、老いた義父をいたわるしっかり者の若い妻を倍賞千恵子さんが演じていた。 ▼それから半世紀あまり、公開中の映画「PLAN75」の主役は78歳の女性だ。倍賞さんふんするミチは、同世代の女友達らとホテルの清掃員をしながら自活している 春秋(6月26日)
春秋(6月25日) 6月25日 〽ソーダ水の中を貨物船がとおる/小さなアワも恋のように消えていった――。胸に響く詞に、洗練されたメロディー。アルバムに酔い、大がかりな仕掛けのライブに熱狂した記憶をお持ちの方も多いだろう。ユーミンこと松任谷由実さんが近くデビュー50年を迎える。 ▼1970年代前半といえば、「女のみち」や「瀬戸の花嫁」がテレビから流れていた時代。そんな中、クラシックと洋楽の影響を受けたユーミンの曲の斬新なコード進 春秋(6月25日)
春秋(6月24日) Tokyoオリパラ 6月24日 東京五輪の公式記録映画を見にいった。2部作の前編で、新型コロナのほか人種差別やジェンダーといったテーマを選手の姿に静かに重ねる描写が印象的だったが、同時に驚いたのが観客の少なさだ。平日の上映回とはいえ、座席に着いた人を数えてみると8人だった。 ▼封切りから3日間の動員は1万2千人、ざっと1劇場1日あたりで20人という。ネットでは「映画も無観客」と皮肉る声が聞かれる。もちろんエンタメ超大作ではない 春秋(6月24日)
春秋(6月23日) 6月23日 「鉄の暴風」と形容される沖縄戦で降り注いだのは銃砲弾だけではない。日米双方が相手の戦意をくじこうと宣伝ビラをばらまいた。圧倒的なのは米軍で、火薬に代えて数百枚を詰めた砲弾を撃ち込んだ。太平洋戦域で初の本格的な心理作戦だった、と沖縄県史にある。 ▼その照準は兵士に限らず、住民にも向けられた。彼我の戦力差を強調して戦場周辺からの避難を促し、日本軍への協力を拒むよう訴える。なかにこんな文言がある。「ア 春秋(6月23日)