映えスポ 白鬚神社 関西タイムライン 関西 滋賀 1月20日 「近江の厳島」と呼ばれる琵琶湖西岸の白鬚(しらひげ)神社。湖岸から60㍍弱の水中に、湖面から高さ約10㍍の大鳥居が立つ。昭和期の再建だが、室町時代の屏風絵や江戸期の縁起絵巻にも湖中に鳥居が描かれているという。白洲正子は「近江山河抄」に「祭神がどこか遠くの、海のかなたから来たことの記憶を 映えスポ 白鬚神社
奇縁が堺にミュシャ招く 関西タイムライン 関西 大阪 1月7日 優美な曲線で描かれた、うっとりとした表情の女性の絵が並ぶ。堺市にあるアルフォンス・ミュシャの美術館には、癒やしを求めて訪れる人が多い。チェコの国民的芸術家だったミュシャの作品は、あわやすれ違いという場面を重ねながら、堺にやってきた。 ミュシャは19世紀末に花開いた美術様式、アール・ヌーボーを代表する画家で、壮大な歴史画の連作「スラヴ叙事詩」でも知られる。堺市は約500点を所蔵、2000年に開館し 奇縁が堺にミュシャ招く
秘蔵ステンドグラス公開へ 日本の草分け制作、青森 9月29日 大正から昭和にかけて活躍した日本のステンドグラス作家の草分け、小川三知(1867~1928年)の秘蔵作品が、10月31日から11月30日まで青森県中泊町で一般公開される。旧家の邸宅の離れに用いられたままの状態で見られる。 町博物館の斎藤淳館長は「三知作品の多くが関東大震災や戦火で失われた。大正ロマンあふれる奇跡の作品を見てほしい」と話した。 公開されるのは2点で、一つはアジサイやコブシ、ケヤキを 秘蔵ステンドグラス公開へ 日本の草分け制作、青森
絵の具手作り、変わらない色を届けて3代100年 東京 カバーストーリー 7月6日 東京・銀座8丁目の雑居ビルの中に月光荘はある。創業は大正6年(1917年)。絵の具、絵筆、パレットからそれらを持ち運ぶバッグまですべてを自社で製造し販売する。100年を超える老舗は私で3代目となる。創業者は祖父の橋本兵蔵だ。もともと、絵が好きでたまらないから始めた店ではない。運命を変えたのは偶然の出会いだ。 祖父は富山で生まれ育ち、18歳で上京。郵便局員や運転手などをしながら暮らしていた。あると 絵の具手作り、変わらない色を届けて3代100年
樂直入(3)我が父像 樂直入 私の履歴書 2月3日 樂家の当主は代々、吉左衞門の名を継ぐ。代を譲ると「入」の付く名に改める。祖父は「惺入(せいにゅう)」、父は「覚入(かくにゅう)」、私は「直入」。隠居名であり入道号だから、在家ながら剃髪(ていはつ)をする。ただし祖父と父は代替わりをする前に没した。 父は1918年(大正7年)生まれ。幼名は喜慶。東京美術学校(現東京芸大)彫刻科で学んだ。我が家のような伝統的な家の跡取りが美術学校に進むことなどありえ 樂直入(3)我が父像
茶室や和菓子 堺の魅力凝縮 コラム(地域) 2月16日 安土桃山時代に茶の湯を大成し、織田信長から茶頭に任ぜられた千利休。近代歌壇を代表する歌人で、女性の自立を訴えたことで知られる与謝野晶子。堺出身の2人をしのぶ文化施設として、2015年春に開業したのが「さかい利晶の杜(もり)」(堺市)だ。 チンチン電車の阪堺線がすぐ横を通る立地の良さもあり、来館者は17年秋に100万人を突破。訪日外国人客の増加を追い風に、当初目標(年間20万人)の2倍のペースでに 茶室や和菓子 堺の魅力凝縮
星へのまなざし(3) 関根正二「三星」 美の十選 11月23日 中央の人物がこちらを見ている。愛用のマフラーを巻いた関根正二自身の姿だ。右は関根の姉、左は恋人だとされているが定かではない。タイトルは三人を星に喩(たと)えたかたちだ。 ところで、自分を、人を、星に喩えるとは一体どんなことだろう。 古来、日本では朝廷に仕える殿上人を「星の位」「星を列(つら)ねる」と表現した。天象と人事が相関する中国発祥の思想に基づくものだ。 近代では与謝野鉄幹がいる。彼と新詩社 星へのまなざし(3) 関根正二「三星」
与謝野馨氏死去、「政策実現の職人」消費増税は未完に 政治アカデメイア コラム(経済・政治) 5月24日 「政局は苦手。政策を地道に創る職人的な政治家かな、と思う」。元経済財政相の与謝野馨(享年78)はよくこう言っていた。「政策通」ではない。困難な消費税増税や歳出削減からいかに政治が逃げられないように仕組むか。どのように官僚の本音を吸い上げ、首相の指導力を演出するか。これら統治システムを動かす創意工夫を積み重ねた「政策決定の職人」だった。 「政府は(中略)2008年度を含む3年以内の景気回復に向けた 「政策の職人」与謝野氏は黄金のクギを打てたか
与謝野馨氏が死去 財務相・官房長官など歴任 5月24日 財務相や官房長官などを務めた元衆院議員の与謝野馨(よさの・かおる)氏が死去したことが24日、分かった。78歳だった。関係者が明らかにした。 東大卒業後に勤めた会社を1968年に辞め、中曽根康弘元首相の秘書になった。76年に東京1区から初当選。直後に血液がんの一種である悪性リンパ腫の告知を受けたが、がんと闘いながら通産相、官房長官、財務相などを 与謝野馨氏が死去 財務相・官房長官など歴任
歌の子詩の子、折口信夫 持田叙子著 11月7日 国文学者であり民俗学者であった折口(おりくち)信夫(しのぶ)は、釋迢空という筆名を用いて、短歌から詩さらには小説に至るまで、あらゆる分野で優れた作品を残した。「古代」を探究した学者であるとともに、「現代」の表現と格闘した広義の詩人でもあった。 持田叙子は、「近代文学の風景」の中に折口の営為を置き直し、詩人の側から、その独自の個性を浮き彫りにすることに成功した。学者と詩人を切り離すことができないよ 歌の子詩の子、折口信夫 持田叙子著