中国改革・開放に楽観論 89年当時の日本大使館(外交文書公開) 中国・台湾 政治 12月23日 在中国日本大使館が1989年、学生らの民主化運動を通じて中国の政治改革が進むと楽観的な見通しを示していたことが23日公開の公電や極秘文書などで明らかになった。「中国の民主化は将来への流れ」と改革・開放政策に期待する報告をしていた。 中島敏次郎駐中国大使は5月18日の公電で、宇野宗佑外相に前日の大規模デモなど一連の動きによって「共産党指導部の権威が大きく揺らいだことは疑いない。体制の民主化、政治体 中国改革・開放に楽観論 89年当時の日本大使館(外交文書公開)
日本、G7首脳会議「1対6」 天安門で中国と欧米の板挟み(外交文書公開) G7首脳会議 中国・台湾 12月23日 日本が1989年7月の主要7カ国首脳会議(アルシュ・サミット)で、天安門事件の非難宣言を巡り、中国と欧米諸国の板挟みに苦慮した実態が23日公開の外交文書で判明した。対中関係維持に腐心する日本と、人権重視の欧米が「1対6」(元外務省幹部)の構図で激突。宇野宗佑首相は自ら交渉で「中国の孤立化回避」の文言を入れ込むなど融和に努めた。中国は日本に照準を定め、国際包囲網をかいくぐろうと試みる。 劣勢 「中 日本、G7首脳会議「1対6」 天安門で中国と欧米の板挟み(外交文書公開)
海上保安長官に岩並氏 7月24日 国土交通省は24日、海上保安庁の中島敏長官の後任に岩並秀一海上保安監を充てる人事を発表した。長官は国交省のキャリアが務めてきたが、3代連続で現場出身者の長官起用になった。 海上保安長官に岩並氏
移りゆく釜ケ崎 定点観測 カバーストーリー 4月6日 日雇い労働者の街として知られる釜ケ崎(大阪市西成区)。私は約50年前から一労働者として働きながら、変わりゆく街を写真に収めてきた。 ◇ ◇ ◇ 50年前足を踏み入れる 初めて釜ケ崎に足を踏み入れたのは、1966年5月。その日、火災が起きたことに端を発して、労働者たちの暴動が起こった。私は19歳で、写真専門学校に通うため、香川・小豆島から出てきて大阪の阿倍野に住んでいた。 新聞で釜ケ崎という場所で暴 移りゆく釜ケ崎 定点観測
29日の安倍首相の動静 8月30日 ▽6時23分 公邸から官邸。24分 報道各社のインタビュー。 ▽7時8分 国家安全保障会議の4大臣会合。56分 報道各社のインタビュー。 ▽9時24分 トランプ米大統領と電話。 ▽10時8分 報道各社のインタビュー。12分 党本部。14分 党役員会。33分 官邸。37分 閣議。54分 河野外相。 ▽12時 公邸。ハガティ駐日米大使との昼食会。長谷川首相補佐官、北村内閣情報官同席。 ▽13時8分 官邸。 ▽1 29日の安倍首相の動静
1.1倍をめざして生きる 中島・海保長官 12月17日 「海の警察」のトップ。尖閣諸島などが緊張し、気の抜けない生活が続く。心の糧のひとつに本との出合いがある。 海上保安庁に入ったばかりのときでした。日本近海で外国船が遭難し、救助される事件があったんです。 上司から「おまえは大学出なんだから、英語ぐらい話せるだろ」といわれ、その船の調査に行きました。ところが、英語がまったく通じない。悔しかったですね。そこで英語を勉強しようと思い、上司に内緒で青年海外 心に染みる平和の尊さ
海保、西之島の海図作製へ 面積が噴火前の12倍に拡大 10月19日 2013年11月以降、噴火活動で拡大した小笠原諸島・西之島(東京)について、海上保安庁は19日、海図を作製すると発表した。22日から来月10日にかけて調査団を派遣。上陸して海岸線を調べたり、付近の海底の深さを測定したりする。作製には半年ほどかかる見通し。 海保によると、同島の陸地面積は9月時点で約2.68平方キロメートルと東京ドーム約57個分まで拡大した。 海保、西之島の海図作製へ 面積が噴火前の12倍に拡大
中国、挑発エスカレート 尖閣周辺に230隻超 8月7日 東シナ海で中国の挑発行動がエスカレートしている。沖縄県・尖閣諸島付近では中国公船の航行が常態化していたが、6日には一部武器を搭載した中国海警局の船7隻が接続水域に入り、230隻もの漁船が周辺を航行する異例の事態となった。さらに、中国が東シナ海ガス田開発の構造物に対水上レーダーを設置したことも判明した。日本政府は警戒を強めている。 安倍晋三首相は6日、首相公邸で谷内正太郎国家安全保障局長や中島敏海 中国、挑発エスカレート 尖閣周辺に230隻超
海上保安庁長官に中島氏 2代連続で現場出身 6月14日 政府は14日の閣議で、海上保安庁の佐藤雄二長官の後任に中島敏海上保安監が就く人事を決定した。21日付で発令する。 海保長官は長年国土交通省のキャリアが務めてきたが、2代連続で現場出身者を長官に起用する。尖閣周辺の海域で中国との緊張関係が続く中、島しょ防衛を 海上保安庁長官に中島氏 2代連続で現場出身
(おくやみ)中島敏次郎氏が死去 元最高裁判事、元駐中国大使 12月20日 中島 敏次郎氏(なかじま・としじろう=元最高裁判事、元駐中国大使)13日、心不全のため死去、86歳。告別式は近親者のみで行った。喪主は長女、木ノ本恵子さん。 外務省北 (おくやみ)中島敏次郎氏が死去 元最高裁判事、元駐中国大使