1964年東京五輪のレガシー残る渋谷 再開発で活気新た Tokyoオリパラ 1月27日 東京は1964年の東京五輪の開催に合わせ、大きく変わった。道路の舗装や拡幅、下水道整備が進み、新幹線と首都高速道路が開通した。特に飛躍した街が渋谷だ。国立代々木競技場や代々木公園などが五輪がきっかけで生まれた。競技場は2021年の東京五輪・パラリンピックでも競技会場として使用される予定だ。レガシーにあふれる渋谷・代々木周辺は、再び開発で変容しようとしている。 今回の東京大会に向けて20年春に新し 1964年東京五輪のレガシー残る渋谷 再開発で活気新た
建築家ゆかりの地(8) 香川と山本忠司「瀬戸内海歴史民俗資料館」 美の十選 1月27日 山本忠司は、一人の建築技師として、香川県の建築文化の育成に大きな足跡を残した建築家である。戦争を挟んで京都で建築を学び、空襲によって市街地の8割を焼失した高松の惨状を前に、郷里香川の戦後復興を担うべく、48年の卒業後、県庁に入庁し、建築技師として働き始める。そして、金子正則知事の下、丹下健三の設計で58年に竣工する県庁舎の建設に担当者として携わっていく。その後、40代の丹下の代表作となる県庁舎の 建築家ゆかりの地(8) 香川と山本忠司「瀬戸内海歴史民俗資料館」
青木茂氏(2) 「少林寺拳法部」の主将に 仕事人秘録 コラム(ビジネス) 1月26日 大分県南東端の蒲江町(現佐伯市蒲江)で生まれ育った。 青木茂建築工房の本社は福岡市にあります。ただ私は東京・広尾の東京事務所にいることが多く、福岡には月2回、計1週間ほど顔を出す程度です。それでも本社を移さないのは、原点が九州だからです。 戦後間もない1948年に生まれた団塊世代です。故郷は豊後水道に面したリアス式海岸が広がる風光明媚(めいび)なところです。姉と双子の妹の4人きょうだいでした。子 青木茂氏(2) 「少林寺拳法部」の主将に
建築家ゆかりの地(4) 広島と丹下健三「広島平和記念資料館」 美の十選 1月21日 敗戦から1年が経(た)った1946年夏、戦災復興院からの委託を受けた復興計画の調査のため、当時33歳の東京大学助教授だった丹下健三は、自ら志願して被爆地広島へ入った。なぜなら、旧制の広島高校に学んだ彼は、原爆により多くの旧友を失い、郷里の今治で暮らす母を空爆で亡くすなど、生き残った者としての戦後復興への強い使命感を抱いていたからだ。そして、この時、後に「原爆ドーム」と呼ばれる広島県産業奨励館(1 建築家ゆかりの地(4) 広島と丹下健三「広島平和記念資料館」
鉄とコンクリに幻滅 隈研吾氏、栄光時代に2つの衝撃 1月11日 世界的な建築家の隈研吾氏。カトリック系の名門男子校、栄光学園中学・高校(神奈川県鎌倉市)で多感な日々を過ごした。成長の象徴としての巨大な建造物ではなく、自然と調和した建築を数多く手掛けてきた。建築家としての原点は栄光にあるという。 <<(上)外国人神父から異文化吸収 隈研吾氏の栄光学園時代 栄光の高校1年生の時、人生を変えるような衝撃的な体験をした。 東京・上石神井のイエズス会修道院で開かれた「黙 鉄とコンクリに幻滅 隈研吾氏、栄光時代に2つの衝撃
外国人神父から異文化吸収 隈研吾氏の栄光学園時代 1月4日 国内外で多数のプロジェクトに携わる、日本を代表する建築家の隈研吾氏。鉄やコンクリートで固められた巨大な建造物とはひと味違う、木や竹など自然素材を活用した建築は世界的な評価を得ている。隈氏はカトリック系の中高一貫の男子進学校、栄光学園中学・高校(神奈川県鎌倉市)の出身だ。「栄光に通っていなければ、今のような建築家になっていない」と語る母校で、どんな体験をし、何を学んだのか。 栄光中学に入学する前は 外国人神父から異文化吸収 隈研吾氏の栄光学園時代
石元泰博展 日本写真に新風吹き込んだデザイン感覚 アートレビュー 10月24日 2021年に生誕100年を迎える写真家、石元泰博(1921~2012年)の、かつてない規模の回顧展が始まった。米国に生まれ、米国仕込みのデザイン感覚で戦後日本の写真界に新風を吹き込んだ異色の写真家。実験精神あふれる仕事の全貌をたどる。 ◇ 東京2カ所と来年1月にスタートする高知の計3会場で展示される作品数は600点超。きわめて多彩な仕事を振り返るには、これくらいの規模が必要なのだろう。 会場のひと 石元泰博展 日本写真に新風吹き込んだデザイン感覚
大阪万博に「生命の塔」を 福岡伸一氏に聞く 2025年 万博 新型コロナ 関西 9月26日 2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。生物学者として「いのち」について深く考えてきた福岡伸一・青山学院大学教授(60)に万博プロデューサーとして目指すものや、新型コロナウイルスが提起した問題などについて聞いた。 ――万博のロゴマークが「細胞」を意識した赤い球体をつなげた非対称なデザインに決まりました。 「1970年の大阪万博のロゴは桜をイメージした幾何学 万博、福岡伸一氏 「進化と環境『生命の塔』で体験」
万博、藤本壮介氏 会場デザイン「分断の世界つなぐ」 2025年 万博 関西 9月24日 2025年4月から半年間、大阪湾の人工島「夢洲(ゆめしま)」で開催する国際博覧会(大阪・関西万博)。コロナ禍の影響で各国への参加要請などは遅れが出ているが、7月に会場デザインや運営、テーマ館の検討などを担当するプロデューサー10人が決定。16日に発足した菅内閣では専任の万博担当相も新設され、計画具体化へ動き出した。コロナ禍を受けて大きく変化し始めた社会、その中で大阪万博が果たす役割や未来のあり方 万博、藤本壮介氏 会場デザイン「分断の世界つなぐ」
太陽の塔が見た未来 2025年 万博 The STYLE 7月31日 アジア初となる国際博覧会として開かれた大阪万博。「人類の調和と進歩」をテーマに、新たな技術やサービスが披露され、人々を驚かせた。あれから半世紀。当時夢見た「未来」の多くが実現しただけでない。万博から広がったピクトグラムはわかりやすさの象徴から、多様な考え方・思想を伝える役割も担うなど、新たな未来も生まれている。2025年にはまた万博が大阪にやってくる。持続可能性が叫ばれる現代の「次の未来」をどう 太陽の塔が見た未来