「なでしこ」大宮に再集結 佐々木総監督の新設チーム スペシャル コラム サッカー 2月2日 女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」ゆかりのメンバー、大宮に再集結――。2021年秋に開幕する女子サッカーの「WEリーグ」に新チームとして参入する大宮アルディージャVENTUS(ベントス)に、名の知れた実力者が次々と加わっている。総監督としてチームを編成するのは11年女子ワールドカップ(W杯)優勝監督の佐々木則夫氏(62)。「ノリオ・オールスターズ」の挑戦やいかに。 現日本代表からもリスペク 「なでしこ」大宮に再集結 佐々木総監督の新設チーム
なでしこジャパン・佐々木前監督 誰かのために挑む Tokyoオリパラ オリパラを考える その他スポーツ サッカー 1月15日 今は経済的にも社会的にも新型コロナウイルスと戦っている状況で、それはスポーツも同じだ。昨年春の時点では全てのイベントが中止になったが、最終的に野球もサッカーも大過なく2020年シーズンをやり通した。コロナ禍であってもこうすればできる、集まれるということを世界に発信するのが東京五輪の意義なのだろう。 なでしこジャパン・佐々木前監督 誰かのために挑む
WEリーグ大宮、INACから鮫島ら3選手加入 1月13日 9月に開幕するサッカー女子のプロリーグ「WEリーグ」へ参入する大宮は13日、同じくWEリーグ入りするINAC神戸から日本代表DF鮫島彩(33)ら3選手が加入すると発表した。鮫島は日本代表で2011年ワールドカップ(W杯)優勝や12年ロンドン五輪銀メダ WEリーグ大宮、INACから鮫島ら3選手加入
輝く女子サッカーへ 金融ウーマン・岡島チェアに期待 Tokyoオリパラ ピッチの風 7月16日 2021年秋に日本女子サッカーの最高峰としてスタートする予定の「WE(ウィー)リーグ」。7月3日の一般社団法人日本女子プロサッカーリーグ社員総会で初代チェア(代表理事)に決まった岡島喜久子さんは、自身の歩みを重ねるように、一人でも多くのサッカー少女をスタジアムに引き寄せ、プロ化を成功させたいと語る。 ■中2からプレー、選手でも実績 性別を意識させない「チェア」と呼ばれることになった岡島さんは米国メ 輝く女子サッカーへ 金融ウーマン・岡島チェアに期待
最強米国に最も近づいた なでしこジャパン 6月13日 8万人もの視線を浴びた「なでしこジャパン」が、イングランドサッカーの聖地・ウェンブリー競技場を駆けていた。 2012年8月9日、ロンドン五輪女子サッカー決勝。相手の米国代表には、それまで通算1勝5分け(PK勝ちを含む)22敗。1点を追う終了間際、ボールをさらった岩渕真奈がGKとの1対1に躍り出る。正対したのが名手ソロでなければ、違う結末が待っていただろうか。そんな空想をしないでもない。 冷徹にみ 最強米国に最も近づいた なでしこジャパン
女子サッカープロリーグ「WEリーグ」 21年開始へ 6月3日 日本サッカー協会は3日、女子サッカーで初めてのプロリーグとなる「WEリーグ」を創設、2021年秋から開幕する発表した。現状のなでしこリーグの上位に位置づけ、6~10チームでスタート。秋に開幕して春に終えるシーズン制とする。参入クラブは職員の50%を女性とし、役員の少なくとも1人を女性をすることを条件とするなど、女性の社会参画を促す仕組みを盛り込んだ。 リーグ名の「WE」にはウィメン(女性)とエン 女子サッカープロリーグ「WEリーグ」 21年開始へ
武田薬品、クローバック導入へ 不祥事で役員報酬返還 ヘルスケア 2月7日 武田薬品工業は不正会計などが発覚した場合に役員報酬を返還する「クローバック制度」を2020年度以降に導入する方針を固めた。国内製薬会社の導入は初となる。同社では昨年6月の株主総会でクローバックの導入を求めた定款変更の株主提案があったが否決された。会社側は「仕組みは理にかなっており、(定款変更をせずに)社内制度として導入することを決めた」と説明する。 クローバックは、過去の巨額投資による損失が発生 武田薬品、クローバック導入へ 不祥事で役員報酬返還
日本らしさで「金」狙う なでしこ・高倉監督の挑戦 Tokyoオリパラ GO TOKYO 1月9日 女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」にとって、2020年は世界一の座を東京五輪で奪い返すチャレンジの1年になる。高倉麻子監督がチームを預かって約3年半。世界最強の米国や、オランダなど欧州強豪のまね事ではなく、「日本にしかできないサッカー」で頂点に立つことを追い求めている。 選手自身が発想し、それをピッチで表現する。監督の自分はあくまでそれを促す役回り、というスタンスでチームをつくり上げてきた 日本らしさで「金」狙う なでしこ・高倉監督の挑戦
父に倣い部下守る(サッカー指導者・佐々木則夫さん) 9月27日 著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はサッカー指導者の佐々木則夫さんだ。 ――出身は山形ですね。 「小学2年まで内陸部の尾花沢市で育ちました。父親は農家の長男でコメやスイカを作っていました。よく田んぼや畑で遊んだものです。のどかな風景の中で体は鍛えられ、足だけは速かったですね」 ――上京したのはなぜですか。 「農業ができない冬、父は東京に土木関係の出稼ぎに行っていま サッカー指導者・佐々木則夫さん 父に倣い部下かばう
「あと1年持てば生き残れた」エルピーダ坂本元社長 日経産業新聞 コラム(ビジネス) エレクトロニクス 5月4日 かつて世界を席巻した日本の半導体業界は平成と共に表舞台から姿を消しつつある。韓国や台湾勢の追い上げや厳しい価格競争によって、日本メーカーは相次ぎ撤退を余儀なくされた。DRAM世界大手エルピーダメモリ(現米マイクロン・テクノロジー)の社長だった坂本幸雄氏は「あと1年持てば生き残れた」と当時を振り返った。 ■BISの自己資本比率規制が契機に 日本の半導体メーカーは平成の前半まで世界で大きなシェアを誇っ 「あと1年持てば生き残れた」エルピーダ坂本元社長