女性像へのまなざし 近代日本を映す表情 美の十選 5月9日 近代日本の画家たちは女性をどう描いてきたのでしょうか。女性像を描いた作品について、実践女子大学教授の児島薫氏が美術史の立場から読み解きます。 女性像へのまなざし(1) 黒田清輝「婦人像(厨房)」 女性像へのまなざし(2) 原田直次郎「少女(ドイツの少女)」 女性像へのまなざし(3) 岸田劉生「支那服を着た妹照子像」 女性像へのまなざし(4) 岡 女性像へのまなざし 近代日本を映す表情
女性像へのまなざし(10) 鏑木清方「朝涼」 美の十選 5月2日 縦長の大きな画面に、少女の横向きの全身像が描かれている。少女は薄い藤色の着物を着て白地に赤い花の模様の帯を締めている。女学生らしく長い髪を三つ編みに結い、その一方の先を手に取り、まっすぐ前を向き、歩み出すような姿勢で立っている。背後には青々とした稲田が広がり、路傍には白い蓮(はす)の花が大きなつぼみを、今まさに開こうとしている。緑の稲には小さい朝露が無数につき、空には残月が白くかすかに見える。 女性像へのまなざし(10) 鏑木清方「朝涼」
女性像へのまなざし(9) 朝倉摂「歓び」 美の十選 5月1日 戦時体制に従った作品にも関わらず屈託のない明るさが漲(みなぎ)るのは、作者21歳の作品だからだろうか。労働の現実感はほとんど無いが、画家はそれよりも3人の人物を縦長の画面に配置する画面構成に工夫をこらしている。三者三様に座る姿はファッション誌のモデルのようでもある。赤を基調とする縞(しま)やチェックの服の組み合わせもおしゃれであり、紅色のサツマイモも彼女たちを引き立てる小道具のようだ。複雑なポー 女性像へのまなざし(9) 朝倉摂「歓び」
女性像へのまなざし(8) 上村松園「焔」(部分) 美の十選 4月30日 美人画で有名な松園の作品の中では異色の作品として知られる。縦約190センチの大画面に描かれるこの女性は誰か。異常に白い顔と手、長い黒髪、薄墨でぼかされた足下(あしもと)。晩年松園は、謡曲「葵(あおい)の上」から想を得て源氏物語に登場する六条御息所の生き霊を描いたと述べている。 この作品を文展に発表した当時、松園は既に人気作家で多くの取材を受けている。それによれば、出品直前まで「生霊」(いきすだま 女性像へのまなざし(8) 上村松園「焔」(部分)
女性像へのまなざし(7) 伊藤小坡「つづきもの」 美の十選 4月29日 朝の情景である。女性は歯を磨くのももどかしく、歯ブラシと手ぬぐいを横に置き、新聞小説を読んでいる。画面右手にはご飯の釜、焜炉(こんろ)に載せたやかんが見え、朝食の準備に取りかかるところである。 背後には布巾などが干してあり、その上に「火の用鎮」の張り紙、日めくり暦などが見え、生活感あふれる日常が伝わる。女性のきちんとした座り方や片付いた室内から、良き主婦であることがわかる。手にした新聞には細かく文 女性像へのまなざし(7) 伊藤小坡「つづきもの」
女性像へのまなざし(6) 清原玉(エレオノーラ・ラグーザ)「風景」 美の十選 4月28日 これはどこの国の情景だろう。花の咲き乱れた海辺の丘に着物姿の女性が団扇(うちわ)を持ち立っている。肌が白く目が大きく日本人には見えない。その後方には花を摘み散策する連れの女性たちが、春霞(がすみ)のなかに影絵のように見える。ブルーの海から淡いバラ色の空へと柔らかな色彩が変化し、春の暖かな空気に満ちた空間が広がる。 作者は清原玉。明治政府に招聘(しょうへい)された彫刻家ラグーザが帰国する際に同行し 女性像へのまなざし(6) 清原玉(エレオノーラ・ラグーザ)「風景」
女性像へのまなざし(5) 池田蕉園「春流」(部分) 美の十選 4月27日 近代の美術制度の中では、絵を描く人も見る人も基本的に男性が中心だった。前回までの男性画家による女性像では、画家の相手への想いがこめられていたり、見る者が画家とモデルの関係に想像を巡らしたりした。では女性が描く女性像はどうだろう。 この作品が描かれたのはおそらく1910年代の初め頃である。桜の花びらが散るなか、小舟に乗った女性は扇を手に、満開の桜をながめているのだろう。少し下がった眉と切れ長の目、 女性像へのまなざし(5) 池田蕉園「春流」(部分)
女性像へのまなざし(4) 岡田三郎助「支那絹の前」 美の十選 4月24日 鮮やかな朱色の着物の女性が、藍色地の布を背景に立つ。布には中国の吉祥図案である桃が染められている。女性は紫の着物を腰に重ね、少し目を伏せている。顔から胸元、右袖に照明が当たり、舞台女優のような存在感を放つ。 画家は、着物に施された絞りや刺繍(ししゅう)の凹凸、帯の輝きなどを実に見事に再現している。手触りまで伝わってくる精緻な表現は、染織品に深い関心を寄せ、自ら収集した岡田ならではと言えよう。 女性像へのまなざし(4) 岡田三郎助「支那絹の前」
女性像へのまなざし(3) 岸田劉生「支那服を着た妹照子像」 美の十選 4月23日 暗い背景から浮き出すように、若い女性の顔が明るい光に照らされている。白い額と細い眉、涼やかな瞳が理知的な表情をつくり、しんとした気配が漂う。彼女は藍色の布で縁取られた深紅の中国服を着ており、頬にその色が反射している。支那服の呼称は劉生が用いた言葉のため、お許しいただきたい。 辛亥革命で清朝が崩壊し日本に中国の良質の書画、文物がもたらされると、日本では改めて中国文化への関心が高まった。劉生も、ヤン 女性像へのまなざし(3) 岸田劉生「支那服を着た妹照子像」
女性像へのまなざし(2) 原田直次郎「少女(ドイツの少女)」 美の十選 4月22日 艶やかな栗色の髪、少し頬に赤みのさした若々しい女性が、振り向くような姿勢でこちらを見ている。きらりと光る瞳や前髪は精緻に描写されている一方、ふわりと肩にかけた布はすばやい筆で描かれている。暗褐色の下塗り、髪やドレスの質感描写からは、画家が留学中に正統な油彩画技法を身につけたことをよく示している。 原田直次郎は1884年に渡欧。ミュンヘンの美術学校で学び、この地で森鴎外と出会う。帰国後原田は大作「 女性像へのまなざし(2) 原田直次郎「少女(ドイツの少女)」