大坪清(30)人との縁 大坪清 私の履歴書 3月31日 妻の圭子は旧姓櫻井。京都生まれの快活な女性で半世紀以上前に出会った時はさる企業のソフトボールチームの選手だった。馴(な)れ初(そ)めを聞かれ「くたびれていたので拾ってやった」などと言おうものなら大変、「何を言うの。寂しそうだったから慰めてやったのよ」と返される。「会社では社長、家では平社員」というのが大坪流だ。 2人の娘はサラリーマンと結婚し子宝に恵まれた。5人の孫のうち男が4人。高校や大学でサ 大坪清(30)人との縁
大坪清(29)夜遊び 大坪清 私の履歴書 3月30日 私の話も終盤になった。今回はアフターファイブの出来事を振り返ってみよう。高度成長期に商社マンだった私は「得意先との付き合い」を免罪符に夜の会合は人並み以上に頻繁。「飲む」「打つ」は今でも盛んで、このうち「打つ」方は大学時代に雀荘(じゃんそう)通いが始まり、かれこれ半世紀以上。ただ私の雀風は勝負は二の次。酒を飲みながらおしゃべりをするのが何よりの楽しみだ。 住友金属工業(現日本製鉄)社長だった下妻 大坪清(29)夜遊び
大坪清(28)環境への配慮 大坪清 私の履歴書 3月29日 東日本大震災後、東北の段ボール生産を支えたのは福島矢吹工場(福島県矢吹町)である。旧郡山工場(同郡山市)の移転拡張のため県南西部矢吹町に約14万平方メートルの敷地を確保したのが2008年4月。新工場完成は震災9カ月前の10年6月だった。 新工場は約9千枚の太陽光発電パネルで消費電力の3分の1を賄う最新鋭のエコ工場。ボイラー燃料は液化天然ガス(LNG)で建物も高断熱構造。旧工場に比べ二酸化炭素排出 大坪清(28)環境への配慮
大坪清(27)東日本大震災 大坪清 私の履歴書 3月28日 2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が起きた時、私は伊丹から羽田に向かう航空機内にいた。着陸時間が近づくと機長から「羽田空港が混雑していてしばらく上空で待機します」とのアナウンス。その後富士山付近をぐるぐる旋回し始めた。 「ただ事ではない」と私は直感した。結局、搭乗機は引き返し、午後4時半ごろに伊丹に帰還。空港ロビーで初めて大地震と知り、急ぎ中之島の本社へ戻った。会議室で幹部が対応に 大坪清(27)東日本大震災
大坪清(26)2009年問題 大坪清 私の履歴書 3月27日 きっかけは「2009年問題」だった。07年に製造業での派遣社員の契約期限が1年から3年に延長。09年は派遣契約を直接雇用にするか、一定期間のクーリングオフを経て再び派遣で受け入れるか、請負契約に切り替えるか、選択を迫られる時期だった。 リーマン・ショック後の不況下で「派遣切り」や「雇い止め」が話題になり、09年問題も注目を集めた。レンゴーで対象となる派遣社員は約1000人。私は「この際、まとめて 大坪清(26)2009年問題
大坪清(25)リーマン破綻 大坪清 私の履歴書 3月26日 来月1日に私は会長兼CEO(最高経営責任者)となり、20年近く務めた社長を退く。「死ぬまで社長をやってくれ」と言ってくれたOBもいたが、真に受けるほど世間知らずではない。ただ、こんなに長くやるとは正直思っていなかった。2009年4月にレンゴーは創業100年を迎えたが、実はその少し前から、この節目の年に後任へバトンを渡そうと考えていた。 業界の価格正常化を目指した「三位一体の改革」が軌道に乗り、レ 大坪清(25)リーマン破綻
大坪清(24)長谷川さんの死 大坪清 私の履歴書 3月25日 労組統一の効果はすぐに表れた。組織の壁を取り払ったことで組合員だけでなく、非組合員の幹部の仲間意識も高まった。ロンドン時代に知り合ったBPのジョン・ブラウン社長兼最高経営責任者(CEO)が提唱した「ピア・アシスト(仲間の援助)」精神が行き渡り、昨年のラグビーW杯の日本代表でいえば「ONE TEAM(ワンチーム)」が出来上がったのだ。 特に目覚ましい貢献をしたのが旧セッツ八潮工場(埼玉県)と尼崎工 大坪清(24)長谷川さんの死
大坪清(23)内憂 大坪清 私の履歴書 3月24日 社長就任1年足らずで打ち出した「三位一体の改革」。古紙・製紙・段ボールの3つの業界の従来のやり方が間違っていると批判したわけで、挑戦状を叩きつけられた側の反発は当然激しかった。レンゴーは「価格の合わないものは一切納めない」と宣言。値下げ競争の悪循環から脱するためで業績の落ち込みは覚悟の上だった。とはいえ内外の圧力は相当なものがあった。 業界数社のトップから説得を受けたが、中には電話で「出来っこな 大坪清(23)内憂
大坪清(22)フルコスト主義 大坪清 私の履歴書 3月23日 紙パルプ担当の商社マンを長くやった私でも、その分野の企業のトップに立つと目に見える景色はがらりと変わった。とにかく驚くべきことの連続。レンゴー社長就任後、原料の売買契約の際に最も肝心な「価格がない」のに気づいた時もそうだった。 2000年当時、段ボール業界を細かく分類すると、主原料の古紙を抄(す)き段ボール原紙の板紙を作る製紙会社が約30社、中芯原紙とライナ(原紙)を貼り合わせ段ボールシートを作 大坪清(22)フルコスト主義
大坪清(21)落下傘社長 大坪清 私の履歴書 3月22日 私のレンゴー社長就任が「新聞辞令」だったのは初回に紹介した通り。前任者の長谷川薫さんからは1999年10月くらいに「セッツとの合併もあったし、将来のレンゴーのために来てほしい」と誘いがあったが、私は住友商事でもう一仕事したい気持ちが強く「話は聞いておきますが、しばらく考えさせてください」と返事を留保していた。 それから半年。諦めてくれたかなと思っていたところへ、いきなり「レンゴー新社長に住商の大 大坪清(21)落下傘社長