承久の乱 坂井孝一著 批評 読書 1月26日 承久3年(1221年)、朝廷の最高権力者である後鳥羽上皇が鎌倉幕府との戦いに敗れ、隠岐に流された。上皇が臣下によって流罪に処せられたのは史上初である。この承久の乱を機に朝廷と幕府の力関係は大きく変わり、結果的に武家優位の政治体制が確立した。 したがって承久の乱は日本史の転換点とすら言える重大事件だが、日本史学者が同乱の総体を説いた著作は意外に少ない。最近では関幸彦著『承久の乱と後鳥羽院』(吉川弘 承久の乱 坂井孝一著
これまで59例 政争に発展も 7月18日 「日本書紀」によると、神話の初代神武天皇以降、皇極天皇が孝徳天皇に譲位(645年)するまで、生前の退位はなかった。皇極天皇は舒明天皇の皇后だった女帝で、中継ぎという位置づけから初の生前退位・譲位となったとみられる。 7世紀末の持統天皇のあと、元明、元正などの女帝が多い奈良時代は譲位による皇位継承が常態となる。8世紀半ば、女帝の孝謙天皇は淳仁天皇に譲位し太上天皇となるが、政治的な確執で淳仁を廃し、 これまで59例 政争に発展も