中嶋常幸(29)メジャー卒業 中嶋常幸 私の履歴書 7月30日 9年前に青森で交通事故に遭うまでは、日本ツアー選手権に勝ち、日本タイトル「8冠」を達成するのが目標だった。2006年の第7回大会(茨城・宍戸ヒルズCC)では優勝争いし、3位に入っている。しかし事故以来、十分なトレーニングができなくなり、さすがに「もう無理か。厳しいな」と感じだした。昨年大会で、ツアー選手権からの「卒業」を宣言した。 今年3月に初めて腰痛を発症、「椎間板ヘルニア」「変形性脊椎症」「 中嶋常幸(29)メジャー卒業
中嶋常幸(24)7冠 中嶋常幸 私の履歴書 7月25日 50歳の誕生日を迎えて8日後、2004年10月末の日本シニアオープン(茨城GC東)でシニアツアーデビューした。すぐに勝てると思っていたが、思惑は外れ6位に終わり、高橋勝成さんが優勝した。 レギュラーツアーと掛け持ちでの参戦だったが、翌年の同オープン(埼玉・嵐山CC)でシニア初優勝、06年10月の日本プロシニア(北海道・恵庭CC)では、プレーオフ2ホール目でバーディーを奪い高橋さんに雪辱。73年日 中嶋常幸(24)7冠
中嶋常幸(21)父の死 中嶋常幸 私の履歴書 7月22日 1993年4月29日、母・ナミ子が心筋梗塞で亡くなった。65歳。私が父の意に反することをすれば「おまえの教育が悪い」と怒鳴られ、たたかれる姿も嫌というほど見てきた。子どものためにずっと耐え苦労してばかり。試合中の私は桐生にとんぼ返りで葬儀に出たが「おふくろ、これでやっと楽になれるな」と思い、なぜか涙は出なかった。 9月の全日空オープン(札幌GC由仁)で勝つと、新聞には「母にささげる優勝」と書かれ 中嶋常幸(21)父の死
中嶋常幸(8)初優勝 中嶋常幸 私の履歴書 7月8日 プロデビュー年でとにかく勝たなきゃいけない、優勝するのは、自分の使命だと思っていた。シーズンオフには2時間で1000発という猛練習を重ねていた。ティーに次々ボールを乗せてもらい、20~30球連続で打つと1、2分休んでまた打つ。その繰り返し。午前中に2回、午後に2、3回行い、1日3000発くらいは打っただろう。試合もあるので毎日というわけではないが、17歳から1日3000発以上、ボールを打っていた 中嶋常幸(8)初優勝
クラブ振るだけがプロゴルファーの仕事ではない ボール任せ 風任せ 7月19日 6年半前に74歳で亡くなった男子ゴルフの杉原輝雄さんは現役時代、その存在感の大きさからプロゴルフ界の「ドン」と呼ばれた。162センチと小柄ながら、青木功、尾崎将司、中嶋常幸ら180センチクラスの大型選手に食らいついて戦うゴルフは「マムシ」とも称された。 ■トーナメントの後に礼状 その杉原さんは、自分が出場したトーナメントが終わると、大会のスポンサー企業と開催コースの支配人に礼状を出していた。企業に クラブを振るだけがプロの仕事ではない
池田、上井ら…後半戦初戦で得たそれぞれの収穫 オン・ザ・グリーン 8月31日 ずいぶん久しく見なかった「レトロ」な光景だった。連日30度を超え、真夏の太陽が照りつけた男子ツアーのRIZAP・KBCオーガスタ(8月24~27日、福岡・芥屋GC=7151ヤード、パー72)で今季初勝利を挙げた池田勇太(31)は優勝後の記者会見で、喉を潤す飲み物としてミネラルウオーターやスポーツドリンクではなく、生ビールをリクエスト。ジョッキを手に「暑い~」と笑いながら、豪快に飲み干した。尾崎将 池田、上井ら…後半戦初戦で得たそれぞれの収穫
怪物2世・川岸史果、収穫の女子ゴルフ開幕戦 オン・ザ・グリーン 3月9日 国内女子ツアー今季開幕戦の第30回ダイキンオーキッド(2~5日、沖縄・琉球GC)は「怪物2世」川岸史果(22)の大健闘が話題を呼んだ。父の川岸良兼はツアー通算6勝。破格の飛距離で石川・小松明峰高、日大時代は「怪童」「怪物」と称され日本アマなど数々のタイトルを獲得した。プロ2年目の1990年にはABCラークカップなど年間3勝を挙げ賞金ランク3位に。姉の紘子がゴルフを始めたのにつられクラブを握った史 怪物2世・川岸史果、収穫の女子ゴルフ開幕戦
エージシュート日本一が可能なマネジメント 書斎のゴルフ 12月10日 日本一エージシュートを達成している植杉乾蔵さん。今年、92歳になったが、いまだカートには乗らず、真夏でも歩いてゴルフをする。すごいと驚くが「ゴルフコースはリハビリ場。歩かないと体の調子が悪くなる」と言い放つ。今回は連載の2回目で、いったいどんなゴルフマネジメントで今もエージシュートを成し遂げているのだろうか。(日本経済新聞出版社「書斎のゴルフ VOL.32」から) もう少し具体的に、植杉さんの真 エージシュート日本一が可能なマネジメント(中)
プロゴルファーの杉原輝雄氏が死去 12月28日更新 50年以上にわたって現役を続け、通算63勝を挙げたプロゴルファーの杉原輝雄(すぎはら・てるお)氏が28日午前8時30分、前立腺がんのため大阪府茨木市内の自宅で死去した。74歳だった。告別式は近親者のみで行い、別にお別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は長男、敏一氏。 小学生時代、自宅近くの茨木カンツリー倶楽部(くらぶ)でキャディーのアルバイトをしながらゴルフを始めた。1957年にプロ入り、62 プロゴルファーの杉原輝雄氏が死去