淡島(東京・世田谷)都会の隠れ家、消えゆく名店 ひと・まち探訪 コラム(社会・くらし) 8月22日 新型コロナウイルスで外出を控えているうちに、いつでも行けると思っていた店が閉じていることがある。東京都世田谷区の淡島にあった小料理屋「のき乃」が4月に閉店していた。行くとママが素朴な手料理を出してくれたが、知らないうちに30年の歴史に幕を下ろしていた。 周辺の地名は代沢で、通りや交差点に残る淡島の名は徳川家ゆかりの森巌寺にある「淡島堂」にちなむ。森鴎外の長女、森茉莉や首相時代の佐藤栄作が居を構え 淡島(東京・世田谷)都会の隠れ家、消えゆく名店
犀星 愛深きおじいちゃま 詩人・作家として活躍した祖父 カバーストーリー 5月13日 「あら、それ、朝子さんの乗り方と一緒。室生家の乗り方ね」。祖父の担当編集者だった方とタクシーに乗ったときのことだ。シートに腰を載せ、脚をすっと引き寄せる乗り方は、母朝子譲りだ。そうかこれも、女性の所作に厳しかった祖父が母に教えたことだったのか。自分の立ち居振る舞いに祖父を感じるのはうれしいことだ。 私の祖父は詩人であり小説家の室生犀星。金沢に生まれ、「愛の詩集」「抒情小曲集」などの詩集や、小説「 犀星 愛深きおじいちゃま 詩人・作家として活躍した祖父
春秋 12月20日 駅は巨大な記憶の箱である。大正11年3月、19歳の娘は夫の待つ欧州へ出発した。華やかな見送りだった。停車場で父は皆の後ろにいた。車が揺れ始めた時、微笑し、うなずくのを見た。それが最後だった。娘は思い出を書いて、作家になった(森茉莉「父の帽子」)。 ▼翌年、関東を襲った大地震に耐えた駅舎を俳人高浜虚子は見ている。東京駅で降り丸ビルにある雑誌「ホトトギス」発行所に通っていた。百年前の完成当初は、「こん 春秋
森茉莉、自分を偽らぬ人生(ヒロインは強し) 1月19日 イケメンで明るく爽やか、裏表のない好男子――そんな人畜無害な男のなにがいいのだ、とお嘆きの女性がおられれば、森茉莉の「ドッキリチャンネル」を一読されたい。七十年代後半から八十年代にかけ週刊新潮に連載されていたコラムで、テレビや書籍、日常で接した事柄を歯に衣着せぬ論調でバッサリ斬った内容である。二枚目俳優の演技を「優等生的」と一蹴、一方で田中邦衛の芝居の深さに紙幅を割き、タモリを気持ち悪がりつつも 森茉莉 自分を偽らない人生