なぜ名選手はメジャーリーグを目指すのか 球場が呼んでいる(田尾安志) 12月17日 今オフは米大リーグ入りを目指すプロ野球選手が多い。DeNAからポスティングシステムを使っての移籍を目指してきた筒香嘉智は、レイズへの入団で契約合意したという。広島・菊池涼介と巨人・山口俊もポスティングを利用、西武・秋山翔吾は海外フリーエージェント(FA)権を行使してのメジャー行きをもくろみ、そう遠くない時期に新天地が決まることだろう。 新たな舞台で力試しをしたい思いだけが、海外に雄飛する理由では なぜ名選手はメジャーリーグを目指すのか
阪神の開幕投手、なぜメッセンジャー「独走」? 関西発「スポーツCAFE」 3月29日 開幕投手に選ばれるのは、投手にとってこの上ない名誉だ。今季はこの投手を中心に投手陣を回して戦うと、監督がチーム内外に示すのだ。阪神・メッセンジャー(37)は、この大役を5年連続(6度目)で担う。 阪神の開幕投手、なぜメッセンジャー「独走」?
高騰続く選手の年俸 健全な球団運営へ手直し必要 ネット裏から 12月2日 プロ野球の新しい年俸を決める契約更改が、各球団で実施中だ。これから年末にかけて主力勢が登場し、1億円、2億円という数字が事もなげにニュースになる。これを、わが身の懐具合や年収と比べて嫉妬するか、稼働期間が短い特殊技能の持ち主がもらう金額として妥当と思うかは人さまざまだろう。 ■「査定スコアラー」が貢献度をチェック それは別として、年俸決定の仕組みはどうなっているのか。その昔は残した成績をもとに、監 高騰続く選手の年俸 健全な球団運営へ手直し必要
孤軍奮闘の巨人・菅野 沢村賞の全条件クリア インサイド/アウトサイド 10月9日 3位でクライマックスシリーズ(CS)進出の可能性を残しながら、巨人の高橋由伸監督が今季限りでの辞任を表明した。最後まで波に乗れなかったチームにあって、圧倒的な存在感を放っているのが菅野智之だ。リーグ最多タイの15勝をマークして2年連続の最多勝を確定させた右腕は、現時点で沢村賞の選考基準を全てクリア。打線の援護に恵まれない中で、孤軍奮闘ぶりが際立っている。(記録は8日現在) 4日、マツダスタジアム 孤軍奮闘の巨人・菅野 沢村賞の全条件クリア
球数制限、政界も関心 金足農エースの連投 政治 8月25日 21日に閉幕した全国高校野球選手権は公立の金足農が秋田勢として103年ぶりに決勝進出し、話題になった。エースの吉田輝星投手は地方大会初戦から甲子園の準決勝まで10試合連続完投勝ち。甲子園では881球を投じた。一人でマウンドを守る奮闘が賛辞を集めた一方、起用方法には批判もある。球数制限の是非を巡る議論は政界も関心を寄せている。 西村康稔官房副長官は「選手のキャリアを長い目で考え、どういうやり方がい 球数制限、政界も関心 金足農エースの連投
オリックス、コミッショナーに提訴 誤審場面から試合続行を 7月6日 オリックスは6日、誤審のあった6月22日のオリックス―ソフトバンク10回戦(ほっともっとフィールド神戸)について、プロ野球の斉藤惇コミッショナーに、誤審があった場面から試合を続行する裁定を求める提訴を行ったと発表した。 日本野球機構(NPB)によると、野球協約に1971年に明記された「提訴」がコミッショナー裁定に至れば、巨人で活躍した江川卓氏のプロ入り時の契約を巡る騒動が起きた78年以来、2例目 オリックス、コミッショナーに提訴 誤審場面から試合続行を
故・衣笠祥雄さん 気は優しくて力持ち 4月24日 飯田徳治選手(南海=現ソフトバンクなど)の記録を破る、連続1247試合出場の日本新を打ち立てたのが1980年8月。やがて世界記録まで伸びることになるが、折り返し点をすぎたばかりの日本記録でも、気の遠くなる数字だった。 ドーム球場のない時代、日本新がかかってから雨が続き、試合が流れた。時間がかかるほど、体調維持も難しくなる。「これまでは自分の体を怖いと思わなかったけれど、今度だけは試合を待つ間、体 故・衣笠祥雄さん 気は優しくて力持ち
「青い稲妻」再び 独立リーグ滋賀監督に松本氏 関西発「スポーツCAFE」 3月3日 オールドファンには懐かしい人物が関西に帰ってきた。プロ野球巨人で不動の1番打者として活躍した松本匡史氏(63)が今季、独立リーグ「ルートインBCリーグ」の滋賀ユナイテッドの監督に就任。12年ぶりの現場復帰に心躍らせている。 2017年12月の監督就任記者会見で「やるからには滋賀のため、選手のためにやりたい」と抱負を述べた。同リーグは東北や関東、北信越から計10チームが参加。唯一の関西勢の滋賀は昨 「青い稲妻」再び 独立リーグ滋賀監督に松本氏
遅すぎる試合展開 球界の「時短」を阻むもの ネット裏から 1月28日 V9巨人のリリーフエース宮田征典は「8時半の男」と呼ばれた。「セーブ」の制度がまだなかった1960年代。クローザーの元祖的存在だった同投手は、現在のように1イニング限定の登板ばかりでなかった。イニングまたぎを当たり前のようにこなした。当時のナイター開始は午後6時半。2時間後の8時半ごろ登場したので、それが愛称になった。そして、9時前後にゲームセットが平均的展開だった。 ■今ではすっかり「9時半の男 遅すぎる試合展開 球界の「時短」を阻むもの
六大学野球、学生がPR スポーツビジネス学ぶ 5月24日 1925年から日本の野球界をけん引してきた東京六大学野球。立大の長嶋茂雄選手や法大の江川卓選手など明治神宮野球場を舞台にスター選手を輩出してきた。しかし、近年は学生の大学野球への関心が下がっている。危機感を持つ一般財団法人東京六大学野球連盟は、学生が主体となって六大学野球の活性化策を企画・実践する試みに乗り出した。 「ぜひ、これを着て応援してくださーい!」。14日に行われた六大学野球春季リーグ戦 六大学野球、学生がPR スポーツビジネス学ぶ