映えスポ 白鬚神社 関西タイムライン 関西 滋賀 1月20日 「近江の厳島」と呼ばれる琵琶湖西岸の白鬚(しらひげ)神社。湖岸から60㍍弱の水中に、湖面から高さ約10㍍の大鳥居が立つ。昭和期の再建だが、室町時代の屏風絵や江戸期の縁起絵巻にも湖中に鳥居が描かれているという。白洲正子は「近江山河抄」に「祭神がどこか遠くの、海のかなたから来たことの記憶を 映えスポ 白鬚神社
白洲正子「鶴川日記」 東京都町田市・旧白洲邸武相荘(写真で見る文学周遊) 12月2日 1943年に旧鶴川村(現東京都町田市)に転居した白洲次郎と正子夫妻。随筆家の正子の「鶴川日記」には緊迫する戦時下の情 白洲正子「鶴川日記」 東京都町田市・旧白洲邸武相荘(写真で見る文学周遊)
修繕痕や擦り切れにも美しさ 古美術鑑賞で感性を磨く 2月6日 このところ美術を通じて、気づく力や感性を養成するメソッドが注目されている。しかし「美術から学べ」と言われても多くの方が当惑するのではないだろうか。そこで参考にしていただきたいのが本書『美を見極める力』だ。 本書は古美術(江戸から明治ごろの絵画や工芸)を中心に、日本美術100点以上の来歴や見どころを分かりやすく解説している。ただ鑑賞するだけでなく、美術品を「使う」という観点から、その魅力が語られている 修繕痕や擦り切れにも美しさ 古美術鑑賞で感性を磨く
物語への敬意 木ノ下裕一 プロムナード エッセー 2月9日 福島県の二本松に観世寺というお寺がある。安達ケ原の鬼婆伝説ゆかりの寺だ。能「黒塚(安達原)」や浄瑠璃「奥州安達原」でもおなじみの伝説だが、ここ観世寺の境内には、人喰(く)い鬼婆が住んだと伝えられる岩屋が残されている。松尾芭蕉も「奥の細道」の中で訪れている古刹だが、私は、この伝説を基にした「黒塚」という作品を上演するにあたって、数年前に訪ねたことがある。お寺の展示室には、鬼婆が使用したと伝えられる 物語への敬意 木ノ下裕一
仏像と日本人 碧海寿広著 批評 読書 9月15日 本来的には信仰の対象であった仏像を、私たちは明治以降、美術作品として「鑑賞」の対象にもしていった。そしていま、日本人は仏像をどのような眼差(まなざ)しで見ているのか、その過程を丹念に追ったのが本書だ。 明治元年(1868年)の神仏分離令を契機とした廃仏毀釈の嵐は、寺院や仏像に巨大なダメージを与えた。そこからの復興の道筋として、寺院の什宝(じゅうほう)を「文化財」と見なし、国が保護するという形がで 仏像と日本人 碧海寿広著
オール益子 優しい藍色 カバーストーリー 12月1日 江戸中期から明治初期にかけて衣類の8割は藍色で染められていた。明治期に来日した文筆家、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は「大気全体が心もち青味を帯びて、異常なほど澄み渡っている」「青い暖簾(のれん)をさげた店も小さく、青いきものを着て笑っている人も小さいのだった」と日本の特徴を紹介した。 * ◇ * 江戸から続く紺屋営む 日本が誇るこの藍の文化を支えてきたのが「紺屋」こと藍染屋だ。私は焼き物で有名 オール益子 優しい藍色
愛に生きた漂泊の人・西行 名歌をたずねて(5) 6月21日 「いかにも、やすやすと詠み出されている様に見えて、陰翳(いんえい)は深く濃い」。評論家の小林秀雄は西行の歌をこう評した。 1118年に生まれた西行は若くして院の御所を守る「北面の武士」に抜てき。武芸だけでなく、管弦や詩歌にも優れた者が務めたという。 しかし、23歳で出家。73歳で生涯を終えるまで、諸国放浪しながら、自在に作歌した。身一つでの漂泊にあこがれる日本人の心をとらえ続ける。 出家した理由 愛に生きた漂泊の人・西行 名歌をたずねて(5)
琵琶の名手、関の神に 名歌をたずねて(1) 6月17日 5月中旬の日曜日。京阪電鉄京津線の大谷駅(大津市)近くの蝉丸神社は例祭の日を迎え、境内は晴れやかだった。神前に季節の野菜や清酒が並び、大型のみこし、琵琶も鎮座する。すでに朝方の神事は済み、もう1基のみこしが町内を巡行中。留守番の氏子らが一升瓶を傾け「天気で何よりだ」と談笑する。 ここは京都と近江(滋賀県)を結んだ要衝、旧逢坂の関。今も東京への国道1号、北陸への同161号が走り、名神高速が宙を横切 琵琶の名手、関の神に 名歌をたずねて(1)
白洲正子 挾本佳代著 12月25日 白洲正子の本格的な評伝はこれが初めてであるという。晩年から死ののちもカリスマ的な存在になったことで、却(かえ)って客観的評価はむずかしかったのかも知れない。 著者は生前の白洲正子には会ったことがなく、純粋に残された文章から人間白洲正子を読み解こうとしている。この潔い態度に私は打たれた。私はご縁あって生前にお目にかかったことがあるが、一度や二度の挨拶で何が判(わか)るものでもないだろう。 著者が白 白洲正子 挾本佳代著
息子・白洲次郎も驚く破天荒ぶり、白洲文平氏 2月25日 白洲文平は父退蔵と息子次郎の間にはさまって損な役回りである。退蔵は三田藩家老から横浜正金銀行の頭取に就任、次郎は近衛文麿や吉田茂のブレーンとして活躍、GHQ(連合国軍総司令部)をして「従順ならざる唯一の日本人」とくやしがらせる。2人は兵庫県人物史で大きな足跡を残すが、文平は影が薄い。ところが、どっこい。文平の破天荒ぶりははんぱじゃないのだ。文平は「白洲将軍」と呼ばれるほど、大阪三品取引所で綿の相 白洲次郎も驚く破天荒ぶり、白洲文平氏