政府、天安門当日「対中制裁拒否」 外交文書公開 G7首脳会議 中国・台湾 政治 12月23日 日本政府が天安門事件発生当日の1989年6月4日、中国を国際的に孤立させるのは得策でないと懸念し、主要7カ国(G7)としての共同制裁を拒否する方針を固めていたいきさつが、23日公開の外交文書で明らかになった。翌7月のフランスでのG7首脳会議(アルシュ・サミット)をにらんだ対応。非難宣言の採択を目指すG7の動きに一時反対していた経緯も判明した。 天安門事件で中国当局は民主化運動を武力弾圧し、国際社 政府、天安門当日「対中制裁拒否」 外交文書公開
ああ深圳、父の悲哀胸に権力志す習近平政治の不安 習政権 習政権ウオッチ 米中衝突 中沢 克二 コラム(国際) 中国・台湾 編集委員 10月14日 華為技術(ファーウェイ)、騰訊控股(テンセント)など米中技術覇権争いの最前線に立つ企業がひしめく広東省の深圳経済特区。その設立40周年の記念式典に出席するため広東省入りした国家主席の習近平(シー・ジンピン)は、父、仲勲の面影を追いながら、今後長く続く政治的な闘いへの決意を固めているのではなかろうか。 なぜなら、広東省はどん底からはい上がった父が再び成功をつかんだ幸運の地である半面、その一角にある ああ深圳、父の悲哀胸に権力志す習近平政治の不安
松浦晃一郎(10)香港での情報収集 松浦晃一郎 私の履歴書 8月10日 1985年10月から88年7月まで約3年間、香港総領事を務めた。アジアで勤務したことがなかったので、強く希望してなった。当時の香港はまだ英国の統治下にあり、エドワード・ユード総督に信任状を奉呈した。 香港での仕事でいちばん重要なのは中国の動きを探ることだ。日中外交を担当するのは北京の大使館だが、表玄関から得られる情報には限りがある。総領事館には政務部があり、優秀な中国専門家がそろっていた。 当時 松浦晃一郎(10)香港での情報収集
「香港」語らぬ李首相 北京ダイアリー(2020年5月) 中国・台湾 7月13日 新型コロナ禍で異例ずくめだった全国人民代表大会(全人代)が28日、人民大会堂で閉幕した。世界が最も注目したのはもちろん 「香港」語らぬ李首相 北京ダイアリー(2020年5月)
新型コロナ・北京ダイアリー(2020年2~3月) 中国・台湾 3月31日 ■北京でいちばん高い場所(3月31日) 2カ月ぶりだろうか。北京を代表するビジネス街の国貿を一望できる展望デッキに上がった。新型コロナウイルスの感染が広がった1月下旬から閉鎖されていたが、最近になって開放されたと聞いたからだ。 ショッピングモールの6階にあるこのデッキは、奇抜なデザインで有名な中国中央テレビ(CCTV)の新社屋がいちばんよく見える場所として知られる。ゆがんだ台形のような不思議な外観 新型コロナ・北京ダイアリー(2020年2~3月)
百年に一度の危機、トランプ砲が助ける習近平「崇拝」 習政権ウオッチ 米中衝突 中沢 克二 香港デモ コラム(国際) 編集委員 1月8日 「昨年は習近平(シージンピン)にとって散々な年だった。未曽有の危機にひんする彼の地位は揺らいでいるに違いない……」。中国共産党の外にいる常識人はそう考えがちだ。しかし、それは大きな誤解である。 共産党総書記、国家主席である習近平の党内での立場はここに来て逆に強まっている。共産党は我々の常識が通用しにくい特殊なサークルなのだ。それを証明したのが昨年暮れ、中央政治局が2日間にわたって開いた重要会議の 百年に一度の危機、トランプ砲が助ける習近平「崇拝」
政治への情熱と執念 中曽根元首相、強い指導者像確立 政治 11月30日 「暮れてなお 命の限り 蝉(せみ)しぐれ」。日本の政界に一時代を築いた中曽根康弘元首相はこの句を好んで詠んだ。長い生涯を貫いていたのは、政治へのあくなき情熱と執念である。 首相就任以前の中曽根氏は「政界の風見鶏」「かんなくずのようにぺらぺら燃える男」などと世間の評価は芳しくなかった。首相に就任した中曽根氏はその手腕と実績で世評を一変させた。 従来の歴代首相とは異なり、自ら前面に出てリーダーシップ 政治への情熱と執念 中曽根元首相、強い指導者像確立
中曽根元首相死去、海外も速報 「戦後政治の巨人」 11月29日 中曽根康弘元首相の死去を海外メディアも相次いで速報した。日本の「戦後政治における巨人」(AP通信)などと評価し、強固な日米関係の構築や国鉄民営化などの改革を紹介する報道が目立った。防衛力強化に取り組み、憲法改正を目指したとの解説も多かった。 米紙ニューヨーク・タイムズは「国際舞台で存在を認められた数少ない日本の指導者」と伝えた。米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは「中曽根氏のもとで日本は世界最 中曽根元首相死去、海外も速報 「戦後政治の巨人」
中国の李鵬元首相死去 天安門事件で弾圧主導 中国・台湾 7月23日 【北京=多部田俊輔】中国元首相で全国人民代表大会委員長(国会議長に相当)などを歴任した李鵬氏が22日、病気のため死去した。90歳だった。中国国営の新華社通信が23日伝えた。1988年から10年間首相を務め、89年の天安門事件では民主化運動への弾圧を主導するなど保守派の代表格だった。 【関連記事】・李鵬元首相死去 「太子党」のはしり、世襲の根深さ象徴・李鵬氏死去 「北戴河」前、長老の一角崩れ習氏に利 中国の李鵬元首相死去 天安門事件で弾圧主導