母校の危機を救う 近大野球部監督・田中秀昌(下) コラム 高校野球 1月10日 2011年夏、田中秀昌は大阪・東大阪大柏原高監督としては初めて甲子園の土を踏んだ。1回戦で至学館高(愛知)を下し、2回戦で如水館高(広島)に敗れた。高校野球の聖地で勝利して校名を世の中に知らしめたが、翌年以降も選手集めには変わらず苦労したという。 「それならば何度も甲子園に出て、大阪桐蔭高に進学するような逸材が憧れる強豪校にしてみせる」。新たな思いを胸に再スタートを切った田中に14年、母校の近畿 母校の危機を救う 近大野球部監督・田中秀昌(下)
上宮時代の悪夢が原点 近大野球部監督・田中秀昌(中) コラム 高校野球 1月10日 1985年に母校の大阪・上宮高のコーチとして指導者人生を歩み始めた田中秀昌は「これまでにすごい体験をたくさんさせてもらった」。 元木大介(元巨人)や種田仁(元中日など)を擁した89年春の選抜準優勝はネット裏で見守った。愛知・東邦高との決勝は高校野球史に残る幕切れだった。 想像のつかないことが次々と起こるのが野球 上宮が2-1と勝ち越した延長十回裏、東邦に2死走者なしから粘られ、一、二塁のピンチを 上宮時代の悪夢が原点 近大野球部監督・田中秀昌(中)
指導35年続々プロ輩出 近大野球部監督・田中秀昌(上) コラム 高校野球 1月10日 2020年10月26日は、近畿大野球部監督の田中秀昌(63)にとって忘れられない日になった。関西学生リーグで通算14本塁打のリーグ記録を樹立した教え子の佐藤輝明が4球団からドラフト1位指名され、阪神が交渉権を獲得。佐藤の記者会見に同席した田中は「4年前を振り返ると、まさか1位指名が重複するような選手になるとは思わなかった」と感無量の面持ちで話した。 最も魅力を感じた教え子、阪神ドラ1佐藤 2人の 指導35年続々プロ輩出 近大野球部監督・田中秀昌(上)