高本陽一氏(25) 社長交代、ここから勝負 コラム 6月28日 社長交代は急に決断することになった。 2020年7月、車で東京出張した帰り道でした。高速道路で豪雨に遭い、気づいた時にはスピンして車は壁にぶつかり大破しました。後続車もなく、僕は無傷でしたがドアをこじ開けて救出されるありさまです。「これはいかん、自分が倒れたら会社もなくなる」。戻った足で川久保勇次君に「車が全損した、社長も交代するぞ」と告げました。 川久保君は「今ですか」と驚いてましたが、台湾の 高本陽一氏(25) 社長交代、ここから勝負
高本陽一氏(24) 京都に拠点、縁を紡ぐ コラム 6月25日 京都市に拠点を設けたのも偶然の縁があった。 移乗型ロボット「ロデム」の製品化が視野に入り、医療介護分野でも事業の芽が出てきました。国内外の研究者や取引先が集まりやすい関西に拠点をつくろうと思い、顧問をしていただいているダイキン工業の中村信さんに「京都の町家もいいですよね」などと話していました。 上京区にある西陣織の資料館が参考になるかもと聞き、中村さんご夫婦と一緒に行って見回っていた時です。「何 高本陽一氏(24) 京都に拠点、縁を紡ぐ
高本陽一氏(23) デンマークで育ったロデム コラム 6月24日 後ろから乗る「ロデム」の着想は偶然生まれた。 介護現場で大変な仕事の1つにベッドから車椅子への移動があります。介護者が前から抱きかかえ、反転して車椅子に着座できるまで腰を落とします。ベッドに戻る時は逆の動作が必要で転倒リスクや介護者の負担につながっています。 「ロボットで補助できませんか」。九州大学病院リハビリテーション部の高杉紳一郎准教授(当時)から相談を受けていた2009年初の頃です。椅子を 高本陽一氏(23) デンマークで育ったロデム
高本陽一氏(22) 経験積んだ地方での事業 コラム 6月23日 働くロボ「ワークロイド」の導入に力を貸してくれる同志が現れ始めた。 2006年4月、先妻の葬儀の日に「南さんに言われて来ました」と東北から訪問客がありました。先妻の旧姓が南でてっきり親戚関係かと思ったら、ロボットを買いたいといいます。 福島県会津若松市で会津中央病院などを経営する法人の理事長を務める南嘉輝さんが、院内で使える実用的なロボットのメーカーを探した揚げ句、当社を見つけて部下の方を送り込 高本陽一氏(22) 経験積んだ地方での事業
高本陽一氏(21) 医療介護のフィールドへ コラム 6月22日 2010年にデンタロイド(歯科治療の研修用ロボット)の「昭和花子」を共同開発した。 昭和大学の先生が「歯科学生の演習は机上ばかりで人体を使って学ばないまま医師になっていく」と危機感を覚え、早稲田大学に持ち込んでいた研究の件で当社にも声がかかりました。 完成したのは、顔回りの舌やまぶたなど10カ所程度をアクチュエーター(振動部品)やシリンダーで動かす身長157センチメートルの女性患者を模したロボで 高本陽一氏(21) 医療介護のフィールドへ
高本陽一氏(20) 宗像移転で交流に広がり コラム 6月21日 2009年5月、福岡県宗像市に本社を移した。 移転はひょんなきっかけでした。宗像市と合併した旧玄海町の役場跡を北九州市の医療系法人がドクターヘリの基地に使っていました。発着場は跡地の奥なので、宗像市から「残りの土地や建物を使わないか」と誘致の話が来たのです。北九州市の拠点より格段に家賃が安く、ロボット製造に適した広さや環境もあり、移転を決めました。 同時に国内外の大学や研究機関とのネットワークを 高本陽一氏(20) 宗像移転で交流に広がり
高本陽一氏(19) 足踏みした海外進出 コラム 6月18日 2008年4月、韓国政府から東京まで来てほしいと連絡があった。 初来日の李明博大統領(当時)に随行した政府高官と会いました。ロボット産業に着目しており、韓国のメーカーと合弁で進出してほしいという話でした。生活支援型のロボを念頭に置いていたようで、韓国政府とさっそくMOU(覚書)を交わし、その際には李大統領とも「一緒にやりましょう」と握手を交わしてもらいました。ただ、これも具体的な合弁などがまとま 高本陽一氏(19) 足踏みした海外進出
高本陽一氏(18) マイクロソフトと提携 コラム 6月17日 様々なロボット開発を続けるうち、海外から提携や誘致の動きが出る。 2005年に開発した武将姿で二足歩行する「キヨモリ」をきっかけに、米マイクロソフトと提携することになります。まずキヨモリ誕生についてお話しします。ロボットの二足歩行には静的、動的の2通りあります。静的は「すり足」のように床すれすれで交互に足を出すため、足をどこに置くかはあまり重視せずに歩行できます。 ホンダのアシモや、キヨモリは動 高本陽一氏(18) マイクロソフトと提携
高本陽一氏(17) レスキューロボへの思い コラム 6月16日 災害支援や工事作業向けのロボットも作ってきた。 通信技術をベースに4足歩行の「番竜」や家庭向けの「ロボリア」といった見守りロボを作る一方、4号機の手足を動かす機構を元にレスキューロボも開発していました。創業した2000年に作った「T5」は高さ2.5メートルで双腕に大きなツメを備え、遠隔操作で重量物を持ち上げます。 1995年の阪神大震災で過酷な被災現場の支援に行った北九州市消防局から「24時間動 高本陽一氏(17) レスキューロボへの思い
高本陽一氏(16)勇気づけてくれた先妻 コラム 6月15日 赤字経営から抜け出そうと次の事業の種をあちこちに探した。 かわいい受付ロボを作れば受けたかもしれませんが、誰でもできるようなモノは作りたくない。大学などとのネットワークは独自の強みで技術にも自信があったので、片っ端から作り、可能性のある市場を押さえに行く。そんな気持ちで毎年1億~2億円ぐらいを増資しながら色々なプロジェクトを立ち上げました。 そうした時期に先妻の美鈴さんが亡くなり、つらい思いをし 高本陽一氏(16)勇気づけてくれた先妻