車いすで見守るビーチ ライフセーバー、試練を越えて 8月16日 古中信也(39)は駐車場に車を止め、車いすを下ろして乗り移った。詰め所から仲間たちが砂を蹴って駆け寄り、車いすごと持ち上げる。「ありがとう」「熱中症には気を付けろよ」。強い日差しの下、楽しそうな歓声が聞こえてくる。古中は運ばれながら白いビーチを見渡した。 古中は大阪府吹田市で生まれ育ち、小学生の頃から水泳に打ち込んできた。大学に入った2001年の夏、憧れていたライフセーバーの資格を取り、神戸市の 車いすで見守るビーチ ライフセーバー、試練を越えて
生かすために切る 「空師」に託された遺言のケヤキ 8月15日 本堂の瓦屋根を見下ろす樹上でチェーンソーがうなりを上げる。噴き出した木くずがさらさらと地上に降り落ちる。熊倉純一(45)は7月下旬、埼玉県飯能市にある心応寺の山門脇に立つ高さ30メートルのヒノキとスギの伐採に取りかかった。腰の命綱を幹に回し、スパイクの爪を樹皮に突き立て、次々と枝や幹に刃を入れていく。 熊倉はさいたま市を拠点に巨木、大木や難所の木を伐採する「空師(そらし)」。山林で材木を切り出し 生かすために切る 「空師」に託された遺言のケヤキ
亡き少年が結んだ絆 イタリア留学、家族の中へ 8月14日 「フランチェスコ・テドーネ 1999年1月4日―2016年7月12日」。大分市の高校2年、藤島果音(17)は8月1日、イタリア南部プーリア州のコラートを1年ぶりに訪ねた。静かな田舎町の一角にある共同墓地に足を運び、言葉を交わすこともなかった少年の墓に手を合わせた。 16年7月12日、プーリア州の鉄道で列車同士が正面衝突し、23人が死亡する事故が起きた。単線に2つの列車を進入させた指令ミスが原因だ 亡き少年が結んだ絆 イタリア留学、家族の中へ
負ける将棋を目指して プロへの扉が閉じた後 8月13日 アマチュア5級、8歳の男児は眉間にしわを寄せて「3七歩」と指した。数手先に玉の逃げ道を封じる効果があるが、本人はそこまで読めていない。「この手の筋の良さにどう気づかせるか……」。竹内貴浩(32)は右手で口元を触りながらしばらく考えた後、自陣の桂馬に手を伸ばした。 竹内は日本将棋連盟に登録する全国67人の「指導棋士」の一人。平日は地元のプロとアマでつくる東海普及連合会の事務局でイベントの企画や準備 負ける将棋を目指して プロへの扉が閉じた後
「漁師になる」は俺の夢 脱サラの父、追う息子 九州・沖縄 8月11日更新 「きのうの続き、まだ残っとるやろ」。漁から戻った茂呂居悠成(21)は漁港で父親、諭(40)に声をかけられた。「もう破れてねぇよ」。ぶっきらぼうに言い返したが、2人で船に飛び乗って網を調べると確かに破れが。諭が手早く1カ所を結い直すと、息の合った様子で悠成も別の箇所の補修に取りかかった。 そもそも、海のない埼玉県で漁師になる夢をひそかに育んでいたのは悠成だった。小学生のころに家族で釣りに出かけた千 「漁師になる」は俺の夢 脱サラの父、追う息子
無人駅を守る 中国山地「秘境」の元国鉄マン コラム(社会・くらし) 5月6日 色あせた国鉄の制服に手を通し、ボタンを留める。左腕に巻いた腕章には「機関士」の文字。午前8時すぎ、永橋則夫(76)は制帽をかぶり、「駅、行ってくるよ」と妻に声をかけて自宅を出る。車通りもまばらな国道を川のせせらぎを聞きながら歩くこと2分、坂の上に平屋建ての駅舎が見えてくる。 中国山地の中央に位置する広島県庄原市の北部。JR備後落合駅は1935年に開業した。広島市から岡山県新見市に至る芸備線、松江 無人駅を守る 中国山地「秘境」の元国鉄マン
今日も鐘をつく 宮崎・延岡、受け継がれる「務め」 コラム(社会・くらし) 5月5日 傾いた日差しの中、全ての体重をかけて撞木(しゅもく)を引き、鐘に打ち付ける。重く低い音が体を包み、空気を震わせて眼下の街に広がっていく。傍らに置いたアナログ時計の秒針を見ながら10秒おきに5回。最後の音が消えていき、「鐘守(かねもり)」日高康彦(54)のこの日の務めは終わった。 宮崎県延岡市の城跡、城山公園には、明治初期の西南戦争で城の太鼓やぐらが燃やされた後、鐘つき堂が建てられた。以来140年 今日も鐘をつく 宮崎・延岡、受け継がれる「務め」
柱に乗る、神を建てる 「諏訪の男」への道 5月4日 モミの大木を削った柱がいきなり急斜面を滑りだす。またがっていた男たちは振り落とされ、必死の形相で追いすがる。土ぼこり、怒号、坂を転がる人、人、人――。1992年、当時12歳だった平田慎也(39)の視線は、柱の先頭にしがみつく「華乗り」の姿に吸い寄せられていた。「これこそ諏訪の男だ」 長野県の諏訪地方の神社では数えで7年(実際は6年)に一度、社殿脇の4本の柱を建て替える「御柱(おんばしら)祭」が開 柱に乗る、神を建てる 「諏訪の男」への道
扉を開けて学校へ 短大生19歳の過去と今 1月9日 午前6時50分、スマートフォンのアラームが鳴る。少し布団の中でグズグズした後、顔を洗って支度を済ませる。今日も朝ご飯は抜きだ。「授業もアルバイトも大変。でも今は楽しい」。かつてあれほど重かったドアを開けて、東京都の短期大学生、浜崎ミク(仮名、19)は自宅を飛び出す。 日本人の父、フィリピン人の母の間に生まれたミクは、生後すぐにマニラ近くにある母の実家に預けられた。6歳の時に祖母が亡くなり、4歳下 扉を開けて学校へ 短大生19歳の過去と今
忘れても暮らしていける 認知症男性の日記 1月8日 2014年10月24日夜、お母さんに言われる。もうお手上げ、ついて行けない、夜も寝れない、と。色々迷惑をかけている様子だが、本人は全く何のことか分かっていない。覚えていない。今はこんな状態 ノートを開くとボールペンや鉛筆で書き込んだ小さな文字が並んでいる。和歌山県みなべ町の那須孝二(69)は10年春ごろから日々の出来事をメモや日記に書き留めてきた。「お母さん」とは妻、昌子(63)のことだ。 5人 忘れても暮らしていける 認知症男性の日記