おかえり、デニム 古着やドレスでファッションに新風 5月20日 このところ鳴りを潜めていたデニムの人気が戻ってきた。カジュアルな日常着として捉えられがちなジーンズだが、コーディネートの主役になるものが登場したり、どこまでもこだわって自分好みのものを仕立てることができたり。いまやテキスタイルの名前で「デニム」と呼ばれ、深化したジーンズ。19世紀に労働着として誕生してから、なぜ今もなお私たちを魅了し続けているのだろう。 時代を織り込むファブリック とりあえずデニ おかえり、デニム 古着やドレスでファッションに新風
情熱の宮殿 私設博物館という愉楽 5月13日 個人の関心や趣味で集めた物を、博物館として広く公開する。そうした私設博物館が各地に誕生している。独自の視点と過剰にも見える熱意が、捨てられ、忘れられていく物に価値と命を吹き込み、時に人々の見る目も変えていく。国や自治体の権威ある博物館とはひと味違う、私的コレクションの世界に分け入ってみた。 忘れ去られる物に 魂を吹き込む 喫茶店、バー、ホテル、銀行、菓子会社……。「たるみ燐寸(マッチ)博物館」( 情熱の宮殿 私設博物館という愉楽
生きるアートBONSAI 世界をめぐり新たな美の域へ 5月6日 モダンな空間にもなじみ、現代の作家の感性を生かした盆栽が次々と生まれている。日本の歴史のなかで独自の進化を遂げた盆栽は、近年、海外での評価がますます高まっている。その世界的なBONSAI人気は還流し、今、新たなアートとして身近になり始めた。 中国から日本へ、さらに世界へ 盆栽の中でも別格の人気を誇るマツ。高松は戦前から続く、日本一のマツの産地だ。街を歩けば、盆栽園がそこここに広がる。 自然の 生きるアートBONSAI 世界をめぐり新たな美の域へ
宮尾登美子46歳の背水の陣 果敢に挑んだ自費出版作戦 4月29日 多額の借金を抱えた39歳の女性は、再婚した夫とともに高知から東京に逃げて小説家を目指す。どん底の窮乏生活に耐えること7年。自伝的小説「櫂(かい)」の自費出版をきっかけに、女性読者の心をわしづかみにする人気作家にのぼりつめる。「陽暉楼(ようきろう)」「一絃(げん)の琴」「天璋院(てんしょういん)篤姫」などの著者、宮尾登美子(1926~2014)だ。彼女の残した日記をたどっていくと「46歳の背水の陣 宮尾登美子46歳の背水の陣 果敢に挑んだ自費出版作戦
エコハウスという魔法 冬も夏も心地よく住まう 4月22日 冷暖房のエネルギーをあまり使わなくても夏は涼しく、冬は暖かい――。そんな魔法のような家がある。光熱費の節約になるばかりか、家の中が快適になることで、住み手の健康や心にもプラス面があるという。こうした仕組みを街づくりや地域の活性化に役立てようとの試みも始まっている。地球温暖化防止の観点からも大いに注目されるエコハウスを各地に訪ねた。 光や雨が生む 不思議な温もり 茨城県水戸市にあるその一軒家は、玄 エコハウスという魔法 冬も夏も心地よく住まう
「船で通勤」の未来がそこに 水都・東京100年の物語 4月15日 東京は江戸の昔から水の都だった。隅田川に架かる橋の多くは、来年で100年になる関東大震災の復興で架け替えられ、震災や戦災の記憶を教訓として今に伝える。小舟のクルーズで水上から街を巡ると、かつての水都をよみがえらせる動きが広がっていた。 橋の復興に学ぶ持続可能性 隅田川はパリのセーヌ川と友好河川である。古来、魅力的な都市は水辺を求めてきた。ゆったりとした川の流れは街の表情に潤いと落ち着きを与え、時 「船で通勤」の未来がそこに 水都・東京100年の物語
左官、それは壁の魔術師 4月8日 ご存じだろうか。ほどよくおしゃべりな壁があることを。隔てるだけでなく、人と人をつなげる壁があることを。その壁が、無形文化遺産に登録された左官の技術で作られることを。 時間を操り 土や水の声を聞く 砂を混ぜた土をなでるジャリジャリという音すら、心地いい。無駄がなく、角が立たない鏝(こて)の行き来に引き込まれ、気づけば立ち現れる壁の層……。 内外の公共建築、商業施設から私邸まで、自在の空間を演出する 左官、それは壁の魔術師
気配再考 「そこに誰かがいる」感じることの豊かさ 4月1日 目に見えないけれど、そこに誰かがいるような感触である「気配」。新型コロナウイルス禍が長引きコミュニケーションの仕方が変容する中で、改めて気配のあり方を考え直したり、遠隔地でも人の気配を感じられるような技術が生まれつつある。現代人は気配を察知する力が低下しているという指摘もあるが、だからこそ気配を意識的に取り入れ、敏感になることで、創意工夫につなげられるケースもある。変化してゆく気配を追いながら、 気配再考 「そこに誰かがいる」感じることの豊かさ
ハワイに焦がれて 日本人と紡ぐ150年超の物語 3月25日 太平洋に浮かぶ島、米国のハワイに日本人は特別な感情を抱いてきた。150年以上前から多くの移民が渡り、戦後は「憧れの海外旅行先」として不動の地位を築いた。新型コロナウイルス禍で往来が難しくなって以降は、暮らしにハワイのスタイルや価値観を取り入れる動きも盛んになっている。「Malama Hawaii(ハワイを思いやる心)」を合言葉に、変化を遂げるハワイの地を再び訪れる日まで。思いは募るばかりだ。 【関 ハワイに焦がれて 日本人と紡ぐ150年超の物語
北前船の航跡今も ひな飾りから昆布・ニシン・瓦まで 3月18日 江戸幕府の命を受けた河村瑞賢が東北から日本海を経て上方、江戸に至る西廻り航路を拓き、今年でちょうど350年になる。海の大動脈はその後、今の北海道まで延び、「北前船」と呼ばれる木造回船が北から海産物や米を、江戸・上方からは都の文物を日本海沿岸の港町に届けた。明治に入り輸送の主役を鉄道に譲ってからも、北前船の文化や味覚は地域に根付き、生き続けてきた。つなぐ努力は今も途切れない。新しい素材やインターネ 北前船の航跡今も ひな飾りから昆布・ニシン・瓦まで