自民党の「勝利の方程式」 反映されぬ無党派層の民意 岸田政権 風見鶏 Think! 編集委員 コラム 政治 5月20日 日本で選挙があると、翌朝の新聞にこんな分析がよく載る。自民党が勝利すると「保守地盤を手堅くまとめ……」、負けると「固めきれず……」。こんな通り一遍の記事を読んでも、何が勝敗を分けたのか、さっぱりわからない。 世論調査の政党別支持率で、ほとんどの地域は自民党が1位だ。その意味で若干の濃淡はあれ、全国どこもが保守地盤である。 では、なぜ自民党が負けることがあるのか。ご存じの通り、自民党支持層と同じく 自民党の「勝利の方程式」 反映されぬ無党派層の民意
不人気ハリス氏の交代は バイデン米大統領、再選の死角 米大統領選2024 バイデン政権 北米 Nikkei Views 編集委員 5月18日 ジョー・バイデン米大統領が4月25日、2024年の大統領選に出馬すると表明した。民主党の地力は近年、共和党を上回っており、80歳のバイデン氏が健康を維持できさえすれば、再選される可能性はかなり高い。では、死角は全くないのか。ひとつ挙げれば、カマラ・ハリス副大統領の不人気である。政権の足を引っ張り続けるようであれば、差し替えもあり得る。 昨年12月、こうした臆測を加速させる出来事があった。民主党の 不人気ハリス氏の交代は バイデン米大統領、再選の死角
意外に穏健だった自民党2005年改憲案 憲法のトリセツ 編集委員 コラム 5月1日更新 2005年11月、自民党は結党半世紀の節目を迎えました。記念事業のひとつが新憲法草案の作成でした。さまざまな改憲案が世の中に出ていましたが、政権党が具体案づくりに踏み込んだことはかなりのインパクトがありました。「憲法に指一本触れるな」という立場の護憲勢力は批判しましたが、その内容は意外に穏健でした。(作成の実務を担った舛添要一氏の関連インタビューもご覧ください) 首相経験者ら大物を起草委員に 意外に穏健だった自民党2005年改憲案
舛添氏に聞く「実現性考えて作成」、自民05年新憲法草案 憲法のトリセツ 編集委員 コラム 5月1日 自民党が2005年に発表した新憲法草案の作成で実務を担った舛添要一氏に当時の事情や憲法改正の今後の見通しなどを聞きました。 ――結党50年に際して新憲法草案をつくると聞いたとき、どう感じましたか。 その時期がやっと来たのか、と。いろいろな組織や有力者が改憲案を出していたので、憲法改正に興味ある人たちで「あれはいいよな」「あそこのは右寄りすぎる」などと話していました。 ――小泉純一郎首相から中身や 舛添氏に聞く「実現性考えて作成」、自民05年新憲法草案
強まる自民党支持層のコア保守化 衆参補選で見えた分断 岸田政権 Think! Nikkei Views 編集委員 4月24日 23日に投開票された衆参両院の5つの補欠選挙は、自民党の4勝1敗だった。岸田文雄首相にはまずまずの結果だが、衆院千葉5区と参院大分選挙区で立憲民主党に競り負けていたら印象は全く違っていただろう。自民党は次の衆院選に向け、どのような手を打つのか。ポイントになるのは、補選で見えた保守的な考えを持つ人が自民党支持層の主流となる「コア保守化」である。 衆院千葉5区、場所取りで四苦八苦 2つの激戦区のうち 強まる自民党支持層のコア保守化 衆参補選で見えた分断
衆参5補選、岸田政権の中間評価 今後の勢い占う勝敗数 岸田政権 Nikkei Views 編集委員 政治 4月21日 衆参両院の5つの選挙区の補欠選挙が23日、投開票される。昨年7月の参院選以来の国政選挙である。得票結果は、岸田文雄首相が衆院解散の時期を探るうえで、重要な判断材料になるだろう。 5つの補選、2002年以来の規模 衆参の補選を春と秋にまとめて実施するようになった2000年以降、対象選挙区がいちばん多かったのは02年10月の7つだった。今回はそれに次ぐ数であり、政権の中間評価との印象をふだんに増して 衆参5補選、岸田政権の中間評価 今後の勢い占う勝敗数
参院が葬った統治機構改革 憲法のトリセツ 編集委員 コラム 4月1日 自民党は1955年の結党時に自主憲法制定を党是に掲げたものの、社会党などの護憲勢力との衝突を避け、憲法改正に踏み出さない時期が長く続きました。読売新聞が94年に発表した憲法改正試案などに後押しされ、具体的な改憲案をつくろうという機運が高まるのは21世紀に入ってからでした。 結党50年の記念事業 2003年8月、小泉純一郎首相は自民党の山崎拓幹事長に憲法改正案の作成を指示しました。当時の自民党は小 参院が葬った統治機構改革
「ミスター憲法」与野党に目配り 中山太郎氏死去 編集委員 政治 3月23日 「ミスター憲法」。中山太郎氏はしばしばそう呼ばれた。憲法改正をライフワークに定め、2000年に衆参両院の憲法調査会が設置されると、衆院側の初代会長に就任した。 憲法論議はなおタブー視されていた。どうすれば護憲勢力を議論のテーブルにつかせることができるのか。打ち出したのが、中山ルールだ。政党の大小にかかわらず、同じだけ発言時間を認め、運営は全会一致を原則とする、などだ。 「自民党だけでは改憲はでき 「ミスター憲法」与野党に目配り 中山太郎氏死去
度胸で乗り越えたタレントの枠 扇千景氏死去 Think! 編集委員 コラム 政治 3月13日 タレント議員の多くは選挙のときしか出番がない。担いだ政党が期待するのは知名度だけ。有権者に飽きられて集票力を失ったら、ご用済みというのがふつうだ。 扇千景氏は違った。派閥の分裂、離党と復党といった永田町の荒波を巧みに泳ぎ渡り、閣僚としても存在感を示した。宝塚歌劇団のお姫さまが三権の長である参院議長に就くとは、1977年の初当選時には誰も想像もしていなかった。 なぜそんなことができたのか。答えは、 度胸で乗り越えたタレントの枠 扇千景氏死去
保守合同で勢いづいた自主憲法制定論 憲法のトリセツ 編集委員 コラム 3月1日 1月に紹介した読売新聞の憲法改正試案に後押しされて、自民党は2005年に憲法改正草案をつくるのですが、そこに至る源流はもうひとつありました。1955年に自民党が誕生する直前、保守合同になだれ込む2つの政党がつくった憲法改正案です。 軽武装vs自主防衛 戦後の日本の安全保障の歴史を振り返るときによく出てくる話題のひとつに、軽武装vs自主防衛があります。GHQ(連合国軍総司令部)は当初、日本が再び刃 保守合同で勢いづいた自主憲法制定論