故・清水信次さん(「ライフ」創業者)会社存続心砕く国士 中村 直文 編集委員 2月3日 清水氏をひと言で評するならば、天下国家を憂いながらしっかりとそろばんもはじく「国士」のスーパー経営者だ。1月26日に都内のホテルで開いたお別れの会はそんな清水氏の人生を表現していた。 同氏は歴代首相とのパイプを築いてきたが、とりわけ故中曽根康弘氏との友好関係は深い。会場には「尊縁随縁」(縁を大切にし、逆らうことなく、自然に従っていく)、「人生途中下車が多いが私は最後まで降りない」など、清水氏の心 故・清水信次さん(「ライフ」創業者)会社存続心砕く国士
故・一柳慧さん(作曲家) 異分野の芸術出合う場求めて 瀬崎 久見子 1月27日 「ジョン・ケージに薫陶を受けた現代音楽の旗手」。前衛芸術の中心地だった1950年代のニューヨークで学んだ作曲家の一柳慧さんには、常にこうしたイメージがつきまとった。しかし、神奈川県民ホールの真野純館長は「本当はそんなレッテルが嫌だったのではないか。ケージを通してでなく自分の作品をもっと聴いてほしかったろうし、彼は『現代音楽』の枠を超えたかったと思う」と話す。同ホールは一柳さんが長く芸術総監督を務 故・一柳慧さん(作曲家) 異分野の芸術出合う場求めて
故・武村正義さん(元新党さきがけ代表) 財金分離の矢 政治 1月20日 「あまり干渉せんでくれるか」。1998年、議員会館の事務所で待っているとしばしば締め出された。干渉するなと言われても担当だから引き下がれない。とはいえ、駆け出しの政治記者に気の利いたことはできない。校長先生に教えを請う生徒のようだったかもしれない。 武村氏は自民党を飛び出し93年に鳩山由紀夫氏らと新党さきがけを結成した。一躍、非自民8党派の細川連立政権の立役者となったものの、96年の旧民主党結成 故・武村正義さん(元新党さきがけ代表) 財金分離の矢
故・アントニオ猪木さん(元プロレスラー) 命かけ演じた格闘王 坂口 祐一 編集委員 1月13日 「レスラーは表現者でなければならない」。新日本プロレスのリングドクターを長年務めた富家(ふけ)孝さんは、猪木さんがよくこう話していたことを覚えている。恩師、力道山の教えだったという。 ピンチを耐え一瞬の隙をついて繰り出す、すごみのある技。握りこぶしを相手の顔面にたたき込むときの、鬼の形相――。猪木プロレスはまさに、内に宿す「燃える闘魂」を視覚化したものだった。 猪木さんは自らの表現メソッドを「風 故・アントニオ猪木さん(元プロレスラー) 命かけ演じた格闘王
故・古川貞二郎さん(元官房副長官) 安易な官僚たたきに警鐘 政治 1月6日 「新聞ある?」「新聞は持ってこなかった」。古川貞二郎元官房副長官が病室に運ばれる前、理津子夫人と交わした言葉である。これが2人の最期の会話となった。 昨年9月17日の「お別れの会」で夫人が配った「お礼の言葉」には「主人は何にでも全力投球する人で『難しい問題でも一生懸命諦めずにやっていると、あれだけ頑張っているのだから、と言って周りの方々が助けてくれる』ともらしておりました」と書かれていた。 官僚 故・古川貞二郎さん(元官房副長官) 安易な官僚たたきに警鐘
故・ジャン=リュック・ゴダールさん(映画監督)20世紀芸術への明察と行動 古賀 重樹 コラム 12月23日更新 「私がヌーベルバーグに属していたころ、私たちは何かを始めていると信じていた。しかし40年たって振り返ってわかった。あの時代には何かが終わろうとしていたのだ」 2002年10月23日の来日記者会見。べっ甲の四角いメガネをかけた巨匠は葉巻を片手にボソボソと語り続けた。 映画は1930年代から50年代にかけて栄光の時代を迎えたこと。その後、長い衰退期を経て、ほぼ消滅するか、テレビやコンピューターのため 故・ジャン=リュック・ゴダールさん(映画監督)20世紀芸術への明察と行動
故・稲盛和夫さん(京セラ創業者) 反骨の魂 西條 都夫 編集委員 12月16日 稲盛さんに取材する度に好んで話してくれたエピソードがある。1980年代半ばに通信事業への参入を決めた稲盛さんが、国鉄総裁を訪問した時のことだ。 「京都の部品会社が何用か」といぶかる相手に、「国鉄の資産は国民の財産。通信自由化を成功させ、国民に利益を還元するためにも国鉄の管路を開放し、私たちに光ファイバーを敷設させてほしい」と願い出たのだ。だが相手は今でいう完全な塩対応。「なんて非常識なことを言い 故・稲盛和夫さん(京セラ創業者) 反骨の魂
故ミハイル・ゴルバチョフさん(旧ソ連元大統領) 時代に翻弄された変革者 ノーベル賞 ヨーロッパ 12月9日 大統領退任後、何度か話を聞いたことがある。冗舌だった。そして何より驚いたのは会話の最中に突然中断し、同席した秘書官に「今の私の言葉は良いアイデアだ。ちゃんと書き留めておくように」と命じていたことだった。 ソ連末期、モスクワで開かれた人民代議員大会や最高会議などの現場取材は一苦労だった。1985年から共産党書記長として国を率いていたゴルバチョフ氏の演説や討論が、延々と続いたからだ。 恐らく、他人と 故ミハイル・ゴルバチョフさん(旧ソ連元大統領) 時代に翻弄された変革者
故・森英恵さん(ファッションデザイナー) 世界的ブランド 夫婦で育成 小林 明 編集委員 12月2日 「うん、面白い。やってみたらいいじゃない。あとは僕が引き受けるから」。東京・新宿に洋装店「ひよしや」を開く際も、ニューヨークやパリに進出する際も、夫の賢さんから何度も背中を力強く後押ししてもらったという。 おしどり夫婦として有名でデザイナーの英恵さんを引き立てるため、賢さんは目立たないように陰から支えていた。この夫婦の二人三脚が「日本の顔」となる世界的なブランドを育て上げてゆく。 2人が出会った 故・森英恵さん(ファッションデザイナー) 世界的ブランド 夫婦で育成
故・三宅一生さん(ファッションデザイナー)服飾界の地位向上に尽力 小林 明 編集委員 トレンド 11月25日 意外な話だが、若手時代は思うように評価されず、歯がゆい挫折を強いられたという。その一例が新人デザイナーの登竜門「装苑賞」である。 コシノジュンコさんや高田賢三さんら同世代のライバルたちが次々と受賞できたのになぜか佳作止まり。年下の山本寛斎さんが受賞する様子も複雑な思いで見つめていた。 「自分が負けているとは思えない……」。売れやすい作風や流行を重視しがちな業界の評価基準に不信感を抱くようになった 故・三宅一生さん(ファッションデザイナー)服飾界の地位向上に尽力