【原武史】投稿一覧

原武史
原武史

原武史

放送大学 教授

放送大学 教授

1962年東京都生まれ。日本経済新聞社勤務などを経て、東京大学大学院博士課程中退。明治学院大学名誉教授。日中文化交流協会理事。講談社本田靖春ノンフィクション賞選考委員。専門は日本政治思想史。著書に『大正天皇』(毎日出版文化賞)、『滝山コミューン1974』(講談社ノンフィクション賞)、『昭和天皇』(司馬遼太郎賞)、『皇后考』、『歴史のダイヤグラム』など。
【注目するニュース分野】皇室、政治、宗教、鉄道、住宅、ジェンダー

1962年東京都生まれ。日本経済新聞社勤務などを経て、東京大学大学院博士課程中退。明治学院大学名誉教授。日中文化交流協会理事。講談社本田靖春ノンフィクション賞選考委員。専門は日本政治思想史。著書に『大正天皇』(毎日出版文化賞)、『滝山コミューン1974』(講談社ノンフィクション賞)、『昭和天皇』(司馬遼太郎賞)、『皇后考』、『歴史のダイヤグラム』など。
【注目するニュース分野】皇室、政治、宗教、鉄道、住宅、ジェンダー

2023年

  • 岸田派すなわち宏池会をつくった元首相の池田勇人は、公私の区別に厳格な政治家だった。池田は週末や休日になると決まって箱根の仙石原にあった別邸(近藤別荘)を訪れたが、ここを完全に私的な空間とし、家族だけの時間を過ごした。大臣や官僚、政策ブレーンらとはすぐ近くの箱根観光ホテルで会うようにした。ところがいまではオフの時間を東京とは別の場所で過ごすという習慣自体がなくなり、年末の休みに首相の一族が永田町の公邸で公然と「忘年会」を開くまでになっている。なぜ戦後政治はここまで変質してしまったのか。その一因がいわゆる世襲政治にあることは確かだが、きちんとした検証が必要ではなかろうか。

  • もう半世紀近く前に中学受験を体験した立場から申せば、この記事には当の小学6年生自身の視点が欠けている。小学6年生くらいになれば、多かれ少なかれ自我意識が芽生えてくる。親の意向に左右されるのではなく、主体的にどういう中学を受験したいかという意識は、程度の差こそあれ、必ずあるはずだ。私の場合は、進学塾で仲のよかった同級生と同じ中学に行きたいという気持ちや、通っていた公立小学校の6年生が9割以上進学する地元の公立中学校には何としても行きたくないという気持ちが非常に大きかった。12歳を「子ども」という名のもとに十把一絡げに扱うこの記事の見方には違和感を覚える。

  • コロナ禍で中断しているが、平成期には天皇と皇后が被災地や福祉施設を積極的に訪れ、被災者や社会的弱者に寄り添う姿勢を見せたことはまだ記憶に新しい。コロナが収束すれば、令和の天皇と皇后も同様の活動を再開するだろう。いまや天皇を狙う過激派は皆無に等しいから、和歌山で起こったような事件は想定されず、活動に規制がかかることはないだろう。だから首相などの有力政治家と人々との間に「壁」ができると、自分たちの声に耳を傾けてくれるのは政治家よりも天皇や皇后だということになりはしないか。憲法で政治活動を禁じられた天皇(と皇后)の役割が大きくなり、ひいては政治家への不信感が芽生えるのは健全ではないと思う。

  • 昭和天皇は皇太子だった1921(大正10)年に訪英し、ジョージ5世ら英国王室と親しく交わった。この訪英は皇太子が通っていた東宮御学問所の卒業旅行でもあった。現上皇もまた皇太子だった53(昭和28)年に訪英し、エリザベス女王の戴冠式に出席した。この訪英は皇太子が学習院大学に在学中に行われた。どちらの訪英も、日本の若き皇太子の存在をアピールさせるねらいがあった。それに比べると今回の訪英は、還暦に近づこうとしている皇嗣夫妻によるものであり、天皇と年齢が近いぶん、両者を混同する英国人も少なくないように見える。このこと自体、「皇太子がいない」という皇室の現状を暗示していよう。

  • 非常に興味深い考察だ。戦後の天皇は憲法上いっさいの政治的発言を禁じられた。首相や閣僚が天皇に会っても、自分から積極的に意見を表明することは建前上できなくなった。天皇はたまりにたまった内心の思いを、田島にぶつけていたような印象を抱く。だがこの記事でも触れているように、天皇の発言がすべて正しいわけではなく、バイアスがかかっている。例えばなぜ貞明皇后に対して、天皇は「ここまで言うかというほど」の発言をするのか。それは母親に対する鬱屈した感情の裏返しではなかったか。ソ連や共産主義に対する過度の警戒も、戦後初のメーデーで50万人が皇居前を埋め尽くしたときの恐怖に根差してはいなかったか。

  • 日本人だけで「絶景のローカル線10撰」を選ぶ時代はそろそろ終わりを迎えつつあるのではないでしょうか。これからはインバウンドの拡大とともに、外国人から見て日本のローカル線のどこに魅力を感じるのかという視点が重要になると思います。この10選には入っていませんが、四季によって風景が全く異なるJR只見線は、すでに台湾や香港、タイなどからの観光客を魅了しています。外国人の観光客が増えれば、日本人だけでローカル線の存廃を議論することの問題も浮かび上がってきます。インバウンドの拡大を見据え、あえて奥飛騨のような場所に新たな旅館を開業させる星野リゾートの戦略を見習うべきだと思います。

  • 今日が石橋湛山没後からちょうど50年とは知りませんでした。石橋が首相になったのは1956年12月で、脳梗塞を患い、わずか2カ月あまりで辞職したため、もっと早く亡くなったようなイメージがあったからです。この記事に記された小日本主義を唱えたこと以外に、そのあまりに鮮やかな引き際もまた、後に石橋の名声を高める要因になりました。辞職後は自らの選挙区でもあった伊豆の温泉で療養します。地政学からはやや離れますが、石橋の政治や思想を考えるうえで重要なトポスは、一つは日蓮宗の総本山がある身延、もう一つは伊豆などの温泉だと思います。石橋の日記を読むと、実によく温泉地を訪れているのがわかります。

  • 「南北問題」と言うが、鉄道に関しては千葉県全体が抱える別の問題もある。横浜や埼玉の大宮からは新宿も池袋も渋谷もJRで一本で行けるのに対し、千葉からは池袋、渋谷に一本で行けず、新宿には一本で行けても各駅停車でしか行けない(特急「成田エクスプレス」は別)。確かに東京には行けるが、総武快速線も京葉線も地下深くにあったり、他のホームと極端に離れていたりする。千葉に向かうターミナルが長らく隅田川を越えられず、両国だった時代の「負の遺産」がまだ残っているのだ。東京の盛り場が西側の新宿や渋谷などに移ったことも、千葉県にとってはマイナス材料となった。この点に関しては、「南」も「北」もないように思われる。

  • この記事に出ている地図を見れば一目瞭然ですが、東京駅周辺の開発が進めば進むほど、その開発を食い止めているのは隣接する皇居だということになるでしょう。皇居の豊かな自然や森が、環境を保全していることになるわけです。そのコントラストはあまりにも鮮やかです。皇居のほかにも、赤坂御用地や新宿御苑、明治神宮など、都心で豊かな自然が保たれているところはほぼすべて皇室が関係しています。しかしいまや神宮外苑のように、皇室に関係していても不動産会社による再開発が計画され、木々が伐採されようとしているケースも生じています。令和になり、皇室のタブーは以前よりも弱まっているように思います。

  • 昨年7月に安倍元首相の事件があり、今日またこの事件がありました。今回の事件を起こした人物が、昨年の事件を強く意識していたことはおそらく間違いないでしょう。歴史をひもとけば、1921年に原敬首相が暗殺された事件の直前には安田財閥の当主、安田善次郎が暗殺された事件があり、1932年に犬養毅首相が暗殺された5・15事件の前々年には浜口雄幸首相が狙撃された事件がありました。どちらも、先に起きた事件に触発されて後の事件が起きたことがわかっています。特に後者は5・15事件だけで終わらず、より大規模な事件を引き起こすことになります。これ以上、テロや暴力の連鎖があってはならないと強く思います。