【原武史】投稿一覧

原武史
原武史

原武史

放送大学 教授

放送大学 教授

1962年東京都生まれ。日本経済新聞社勤務などを経て、東京大学大学院博士課程中退。明治学院大学名誉教授。日中文化交流協会理事。講談社本田靖春ノンフィクション賞選考委員。専門は日本政治思想史。著書に『大正天皇』(毎日出版文化賞)、『滝山コミューン1974』(講談社ノンフィクション賞)、『昭和天皇』(司馬遼太郎賞)、『皇后考』、『歴史のダイヤグラム』など。
【注目するニュース分野】皇室、政治、宗教、鉄道、住宅、ジェンダー

1962年東京都生まれ。日本経済新聞社勤務などを経て、東京大学大学院博士課程中退。明治学院大学名誉教授。日中文化交流協会理事。講談社本田靖春ノンフィクション賞選考委員。専門は日本政治思想史。著書に『大正天皇』(毎日出版文化賞)、『滝山コミューン1974』(講談社ノンフィクション賞)、『昭和天皇』(司馬遼太郎賞)、『皇后考』、『歴史のダイヤグラム』など。
【注目するニュース分野】皇室、政治、宗教、鉄道、住宅、ジェンダー

2023年

  • 昭和天皇拝謁記という第一級の史料は、まだ完全には読み解かれていない。その価値の一端を鋭く分析するこの記事は、読みごたえがある。憲法に規定された象徴天皇のイメージがいかに実態とかけ離れたものだったかは、この史料が余すところなく伝えている。大元帥でなくなった戦後もなお再軍備にこだわり、再軍備に消極的な吉田茂をこき下ろす天皇の生々しい言葉は衝撃的ですらある。日本国憲法によって天皇制が護持されたことにつき、昭和天皇はマッカーサーに感謝したとされるが、田島道治とのやりとりを見ていると、本音はそうではなく、戦争放棄を定めた憲法を改正したいと思っていたようにも受け取れる。

  • 新横浜駅が便利になり、これまで以上に多くの客が新横浜で新幹線に乗り換えるようになることは、JR東海にとって本当に喜ばしいことなのだろうか。というのも、現在建設中のリニア中央新幹線は新横浜を通らず、同様に横浜線が接続する相模原市の橋本を通るからだ。新横浜が新たな神奈川の中心として発展すればするほど、そこを通らないリニアの使い勝手の悪さが浮かび上がるようでは、巨額の建設費を投入してリニアを開業させる意味がますます薄れるだろう。

  • すばらしい文章です。昨今のSNSなどで大量生産される品位なき断片的な罵詈雑言の数々とは対極的な、心から尊敬する故人を偲ぶ静謐な文章です。こういう文章を味読できるならば、新聞も捨てたものではないと思います。大江さんは亡くなっても、その核となる精神は着実に次の世代の作家へと受け継がれてゆく。私が属しているような学者の世界ではなかなかできないことです。うらやましいと思いました。

  • 「東京へのアクセスを重視する『昭和・平成型』の思考で計画された鉄道計画はもはや時代に合っていないのでは」という分析はまさにその通りですが、目を首都圏だけでなく全国に広げてみれば、「東京へのアクセスを重視する『昭和・平成型』の思考」によって、より大々的に新幹線やリニアの建設が進んでいます。この矛盾に気づくべきではないでしょうか。

  • 何を隠そう、私も神保町のPASSAGEの棚主の一人になっています。自分の棚にはサインを入れた拙著などを常時置いています。ちょうど昨年3月に開店しましたが、果たして自分の本など売れるのかと当初は不安だったものの、いざ蓋を開けてみるとこの1年間で(拙著以外も含めて)300冊も売れました。これはうれしい驚きでした。もともと神保町は本好きが集まる街ですので、一般の書店にはもう売られていない本でもPASSAGEに来れば置いてあるということがわかれば、それを目当てにこの書店を訪れるのではないでしょうか。2年目に入ったPASSAGEのますますの発展を祈っています。

  • 私が学生だったころの渋谷は、「本のデパート」と呼ばれた大盛堂をはじめ、紀伊國屋、三省堂、旭屋などの大型書店が駅の周辺に集まる「本屋の街」でした。ところが東急本店が閉店して「最後の砦」だった丸善ジュンク堂が消えたことで、渋谷にはまともな大型書店が一つもなくなってしまいました。紀伊國屋やジュンク堂が健在な新宿や池袋とはこの点が大きく違っています。渋谷駅は段差だらけになり、乗り換えは面倒になり、谷底に相当する場所に威圧的なビルばかりが建つようになり、本を読んでゆっくりしたい高齢者にはますます縁遠い街になっています。そうした声がこれから先反映されることはあるのでしょうか。

  • この記事では触れていないが、誕生日に際しての会見で天皇は「今後の活動に当たっては、(中略)オンラインも活用しながら、様々な形で広く国民の皆さんと接することができればと思っています」と述べた。たとえコロナ禍が収束しても、従来のような地方視察だけでなく、オンラインも併用するということだろう。このスタイルは、天皇と皇后が皇居の外に出て日本の隅々をくまなく回る「平成流」とは明らかに異なる。他方で、英国王室などのように皇室がSNSを積極的に活用するかどうかについては、慎重な言い回しに終始した印象を受ける。オンラインは活用してもSNSは活用しないというのが「令和流」の特徴といえようか。

  • 開戦から1年にあたり、プーチンが「戦場で敗北することはあり得ない」と述べたことは、太平洋戦争の開戦から1年にあたり、昭和天皇が伊勢神宮で「速けく敵等を事向けしめ給ひ(中略)無窮に天下を調はしめ給へ」という御告文を読み上げたことを思い出させる。プーチンと天皇を一緒にするなという反論があるのは承知している。だが当時の天皇は陸海軍を統帥する大元帥であり、戦況が不利になっても戦勝に固執していたことはさまざまな史料から明らかになっている。ウクライナ戦争を「対岸の火事」として眺めるのではなく、先の大戦に重ね合わせて見る視点が求められていると思う。

  • 「全体をとらえる大きな枠の議論は今のアカデミズムの若い人達には人気がありません。それで実証主義に傾くのですが、やはり大きな枠組みで理解し、説明しないと見えてこないものがあるのではないでしょうか」という島薗さんの御見解、私も全く同じように思います。近年の島薗さんの国家神道研究は、まさにそうした枠組みを構築しようとする試みであり、心強く思っています。それを「実証主義」的に批判する「若い人達」がいることも事実ですが、その批判にはあまり説得されません。私自身、大学院時代に神道を中心とした思想史の「大きな枠」を作ろうとした論文を島薗さんに褒めていただいたことがあり、個人的に敬意を抱いています。

  • かつて文藝春秋の「同級生交歓」で、御厨貴さんと阿川尚之さんが出ていましたが、なんと二人は中学受験塾の「四谷大塚」の同級生でした。つまり1960年代から中学受験のための進学塾はあったわけです。私が中学を受験した70年代は「日進」と呼ばれた日本進学教室と四谷大塚が「両雄」で、どちらも成績優秀な小学生を集めていました。そのあと日進が凋落し、いまの日能研が台頭する時代に移ると思いますが、それがどのようにしてこの記事にあるような、SAPIXがトップとなり、早稲アカがそれに続く時代へとさらに移ったのか。中学受験から見た戦後史に関する本格的な研究が待たれるところです。